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「ユーゴスラビアの素朴画」といわれたクロアチア素朴画

  
1970年代から日本では、いわゆる「素朴画」派の企画展が多くなった。おそらくルネサンスからはじまりフランス印象派を通過し、ピカソから戦後のアヴァンギャル美術という流れを教科書的に見せられることに、食傷していた鑑賞者が多くなっていたのだろう。

 戦後、ニューヨークで爆発的に紊乱したアヴァンギャルの描き手も一部をのぞけばアカデミックに学んだ優等生たちであった。そういうプロでない描き手の画家が注目された。それはポスターやイラストなど職人のアートが「芸術」として認識されはじめた時代でもあった。

 この70年代に、故坂崎乙郎氏が盛んに正統派の美術史の行間からこぼれ落ちた異端、偏執、異形、風狂……要するに個性的な美術家を狩猟し、連作のように芳香に満ちた美術家論集を上梓していた。それをけっこう夢中で読んだものである。乙郎氏の厳父は、日本でクールベの価値を知らしめた坦氏であったが、父子二代の美術批評による反骨性もまた魅力的であった。もっとも乙郎氏には文体を修飾する遊びがあって、それが若い私を惹きつけた。
 
 その70年代、ユーゴスラビアの「素朴画」として多くの名も知らぬ画家たちの作品が日本に紹介されることになった。
 イヴァン・ラブジン、イヴァン・ラツコヴィッチといった画家が注目された。それは自然美を独自のニュアンス、繊細な筆致で色彩感あふれる幻想美のなかに描き出したリリカルな世界だった。
 農業を生業としながら、農閑期に絵筆を取る“日曜画家”だとも喧伝された。それにしては、技術がある、という疑問も、この国の「社会主義はそのような学びの場が公共空間に存在しているのかもしれない」と自ら打ち消した。しかし、そのうち詳しい情報が入るようになって、「素朴画」でプロとして立つ画家の存在も知った。

 そして、彼らが海外でユーゴスラビア人画家として認識されている時代、彼の国にはキナ臭さはいささかも存在していなかった。サラエボで冬季オリンピックも開催された時代でもある。そのオリンピック競技場が墓場と化すような、民族浄化といわれる内戦が始まろうとは誰が予期しただろうか。      

イヴァン・ゲネラリッチ
*    *    *

クロアチアの首都ザグレブに国立ナイーヴアート美術館がある。そこにイヴァン・ラブジンをはじめとするクロアチアの代表的な素朴画家の作品がほぼ網羅されている。

 クロアチアを訪れる前、筆者にとって「ユーゴスラビア素朴画」は固有名詞であった。「クロアチア素朴画」という概念はなかった。
 しかし、クロアチアを訪れる前、資料集めをしているとき、かつて東京で繰り返しみてきた「ユーゴスラビア素朴画」の大半ほとんどがクロアチア、しかも東部地方フレビネ村の農民画家に発していることを知った。

 つまりユーゴスラビア解体前、日本でも愛された「素朴画」は、「クロアチア素朴画」であったのだ。
 おそらく、ユーゴスラビア解体以前、連邦の首都であったベオグラード、現在のセルビア共和国の美術館に収蔵されたはずの「クロアチア素朴画」は内戦下、あるいは内戦後、どのような扱いを受けたのだろうか。
 クロアチアはセルビアと戦った。ドナウ川を挟んでセルビア領と接するクロアチアの町ヴコヴァルでの戦闘は第2次大戦以来、市街戦として最悪の戦いと知られ、町は完全に破壊された。

 クロアチアの素朴画家は内戦を描いていない。まだ描いていない、といえるかも知れない。しかし、フレビア派の始祖的な画家イヴァン・ゲネラリッチは農民暴動をテーマに描いている。身近な素材として、それを描いた。素朴画は生活感に満ちたものだが、その生活が脅かされた内戦の記憶は画家たちの記録に色濃いはずだ。

 内戦以降、「クロアチア素朴画」と銘打った企画はまだ日本ではない。もし、開催されるとしたら、内戦以降に描かれた「素朴画」をみたいと思う。  

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はじめまして。
実家の片付けをしていましたところ
小学生の頃の教科書に
まさにこの絵が載っており
そこには【木を切る人たち ゼネラリッチ(ユーゴスラビア)】と書かれていました(^_^;)
ゼネラリッチでは出て来なかったので、ユーゴスラビア 画家で検索しましたところ、こちらに辿り着きました。
とてもスッキリしました。情報提供していただきありがとうございました。

No title

拙い文章を読んでいただきありがとうございました。もう、「ユーゴスラビア」という国が崩壊してしまって、「クロアチア素朴画」と紹介される時代になりました。クロアチアへ行ってレンタカーを借りて、素朴画家たちが多く住む町まで行こうと思ったのですが、地図をあらためて確認するとみなセルビアの国境に近いところばかりだったのです。距離も遠いということもあるのですが内戦の影響を受けなかったはずはなく、それで断念したことを思いだしました。
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