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花持つ女 №13*人見絹江 日本女子アスリートの先駆者

人見絹枝(1907~1931)
  日本女子アスリートの先駆者

 サッカー・なでしこジャパンがW杯で優勝したとき、日本女子アスリートの草分けであった人見絹枝のことを思った。
 1926年、スエーデンで開催された女子オリンピックに日本から唯一の選手として派遣された。日本女子選手のはじめての海外遠征である。
 人見は同大会で三つの金メダル、銀・銅各一個という驚異的な成績をおさめた。
 当時、人見選手の活躍を伝えたスエーデンの新聞は、「地震や洪水など天災地変ぐらいしか日本に対する印象がなかったが、日本にかくの如き立派な女性がいることを発見した」と書いた。人見は、三年前の関東大震災に疲弊する日本というイメージを覆し、さらに「フジヤマ・ゲイシャ」といった卑俗な日本女性観も一時的に払拭したのだった。
 陸上競技の天才だった。
 短距離、投てき、そして跳躍競技に世界記録を出した。
 1928年、大阪で5m98の走り幅跳びの世界新記録は以後、11年の間、更新されることなかった。
 「女がふとももを晒すとはなにごとか」という女性観がまかり通っていた時代、いわゆる社会的常識を覆そうと人見は奮闘努力した。先駆者としての悲哀をなめながらの成績であった。
 ただ競技に参加するだけでなく、女子スポーツの普及のために講演し、海外遠征のために資金をつくることまで要請された。大阪毎日新聞の記者でもあった。
 10代後半から文字通り、東奔西走し、疾風怒濤、時代を駆け抜けた。そして体力の限界まで自分を追い込んだ結果、過労から肺炎を誘発、わずか25年を一期として還らぬ人となった。
 あまりにも短い生涯だがアスリートとしての活躍だけではなく、日本のスポーツ界に遺した功績はあまりにも大きい。
 2020年、東京でのオリンピック開催が決まった。いま、あらためて人見絹江の業績を思い出すときであるはずだ。   

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