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映画『ブランカニエベス』 パブロ・ペルヘル監督

映画『ブランカニエベス』 パブロ・ペルヘル監督
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 ブランカニエベス……西語で「白雪姫」。グリム兄弟が採集、再話したメルヘン中、もっとも有名な一編。映画は、このメルヘンのあらすじを借用しつつ自由自在にディフォルメして、観巧者も飽きさせない作品としている。監督、脚本、原案をこなしたペルヘル監督の恣意的で少々、毒気のある「白雪姫」でもある。
 あるいは米国のディズニー映画『白雪姫』を揶揄しているのかも知れないし、2011年、5つのオスカーを受賞した米国産サイレント映画『アーティスト』に対する欧州からの回答ともいえるかも知れない。

 本作のブランカニエベスは、美少女カルメン(マカレナ・ガルシア)で闘牛士として名を馳せる役柄。カルメンとの命名はむろんメリメの小説、あるいはビゼーの歌劇における激しい気性のジプシー娘を観る者に想起させようという企みもある。ということでは観る前から、なんとなくネタバレ感もあり、起承転結が分かってしまうところがある。ストーリーはまったく整然としてわかりやすく、スペイン映画に定着しているダークファンタジーのラビリンスを覗く知の遊び、意想外の展開とも無縁だが、モノクロームで映画草創期の四・六サイズ、そう昔のブラウン管時代のテレビの額縁のなかでサイレント映画として動くことで俄然、魅力を増しているのだ。
 しかし、台詞は確かにサイレントで文字で簡略に提示されるだが、音楽は絶えず奏でられている。その主調音は酒場の隅、壁にへばりつくように置かれるような廉価なアップライトの音色。これで屋外、仮設小屋での上映といった小粋な雰囲気を醸しだす。このあたりの工夫が本国スペインでたいそう受けたようだ。色彩過剰な現代生活においてモノクロームはおしゃれの必携アイテムであって、平凡な話もアルカイックな雰囲気のなかで語られると異化効果となって観客の目には新鮮に映る。
 米国産『アーティスト』は本作より単純至極な恋愛映画であって、サイレントからトーキーに変移していく過渡期をうまく乗り切れなかった俳優の苦悩、という常套手段も使っていて鮮度は欠ける。そこへいくと本作、そんな時代背景の考慮といったものは軽やかにワープさせ独自の世界観を出しているのがあっぱれ。

 「白雪姫」が主人公だから、カルメンは美しくなければいけない。しかし、このカルメンは断髪、華麗な闘牛士姿はまるで男装の麗人。彼女は有名な闘牛士を父を持つ、その遺伝子が彼女を闘牛場の華とさせるわけだだが、それだと白雪姫にならない。そこにグリム童話の借用がある。
 カルメンが生まれて間もなく母を失い、父はやがて再婚する。その継母がグリム童話のように少女をいじめ、今日流にいうと児童虐待を受ける。ある日、その継母の策略で命を奪われそうになるが、「小人闘牛士団」に拾われ助けられ、一座に加わる。その巡業の旅で闘牛士として頭角を表すという筋書き。グリムは7人の小人を登場させたが、本作では5人。イベリア半島でも「白雪姫」譚は人口に膾炙しているから、巡業団の名もセールス効用に「白雪姫と七人の小人」と命名。しかし、この小人社中はディズニーの小人のようには愛らしくない。身体差別をしたたかに味わってきた苦悩が澱のように沈殿している。カルメンの存在はたとえは悪いが“掃溜めに鶴”。毒りんごも食べ昏睡。しかし、そのカルメンの目を覚まさせるのは王子様ならぬ……とこれ以上はちょっと書けない。その先は木戸銭払って……。
 カルメンに毒りんごを食させる継母を、メキシコのガエル・ガルシア・ベルナルの出世作『天国の口、終わりの楽園』で人妻訳を好演したマリベル・ベルドゥが演じている。

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