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マンボ ペルス・プラード楽団健在

ペルス・プラード楽団健在
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 最近、とはいっても10年ほど経過してしまったがルウ・ベガ(ウガンダ系ドイツ人)がペレス・プラード(191
6~1989)、1949年のワールドヒット曲「マンボ№5」をサンプリング、レゲトン味付けでリメイク、大ヒットさせた。いまでも良く記憶しているのはレゲトン版のマンボが当時、ハバナの町でも響いていたことだ。
 
 キューバ革命時期にメキシコ公演中だったペレス・プラードは革命政権下にキューバに戻ることなく、メキシコの国籍を収得、メキシコ人として日本及び世界各地で公演中を展開した。
 現在、ペレス・プラード楽団のリーダーはイノセンテ・ディアスを戴いて健在で、6月25日、メキシコ市南部の国立の文化センターで演奏会が開かれ4千人の観衆を集め、多くの観衆がマンボを踊りながら演奏を楽しんだ。メキシコでは相変わらずペレス・プラードは健在ということだ。この企画は、ペレス・プラードがメキシコにマンボを紹介し、自分自身のメキシコでの演奏活動の開始から62年目にあたる日という記念イベントだった。

 メキシコ市中の中心にある大衆音楽劇場のブランキータ劇場のフロアの壁には現在もペレス・プラード楽団の日本公演のポスターが麗々しく飾られているぐらいだ。日本には1956年以来、17回来日公演を行なっている。25日のコンサートの模様を伝えた新聞は、全盛期のペレス・プラードを紹介するなかで、外国での録音活動を紹介し、なかでも日本でのユニークな作品がメキシコでも注目されたことを特筆している。当時、日本の歌曲、民謡を巧みにマンボにアレンジ、ジャケット・イメージも工夫を凝らしたアルバムは日本でもベストセラーになった。
 
 「エル・マンボ」「マンボ№5」「~№8」「セレソローサ」「パトリシア」「闘牛士のマンボ」「ある恋の物語」「タブー」……ペレス・プラードの代表曲が彼のアレンジのままに披露された25日のコンサートには、いまも健在でメキシコにおけるチャチャの仕掛け人となったキューバ出身のアルフレッド・エレーラ・メネセスも駈けつけ、ペレス・プラードを称えた。
 ペレス・プラードはメキシコの国籍を収得後、メキシコの音楽家の地位向上を目指して芸能組合で指導的に立場にあった。地道な活動であったが、その恩恵を受けた音楽家も少なくなかったはずだ。母国のキューバ革命政権には距離をおいたペレス・プラードではあったが大衆音楽家として、労働者の権利はそれなりに主張していた。日本ではあまり知られていない事実だろうがペレス・プラードを知る上で欠かせない事柄だろう。

 1989年、メキシコ人として死去する。その葬儀はメキシコにあって「史上最も陽気な葬儀」と形容されるほど耳目を集めたが、母国キューバでは、そのわずか数行で小さく報じられただけだった。 (2012記)

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