スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

アンジェイ・ワイダ監督『ワレサ』

映画『ワレサ 連帯の男』 アンジェイ・ワイダ監督
waresa.jpg

 某労働組合系の月刊誌に、数ヶ月前に本作のことを話したら、「いまの若い人にはワレサを知る人はいないでしょうね。ワレサ、誰サって言われるのがオチ」ということだった。とすれば、本作を公開する岩波ホールも若い観客を動員しようと思えば、それなりの宣伝、広報活動を工夫しないといけないだろうと率直に思った。同ホール、及び宣伝会社の手法はポーランド「連帯」運動を知っている人、あるいは従来のワイダ・ファンに向けたものとなっている。サブタイトルも、「連帯の男」という。
 しかし、ここは私的なブログだから、奇特な読者に向けた内容で構わないだろう。

 時は1981年5月、場所は日比谷公会堂……独立自主管理労組「連帯」を創設後、まだ1年も経たない時期に総評の招きでレフ・ワレサ「連帯」議長は来日し、同公会堂で講演会が開かれた。そこに筆者はいた。その会場はその時、確かに発熱していた。たった一人の男がとてつもないオーラを放っていた。ノーベル平和賞を受賞する2年も前のこと。
 映画は同賞受賞後、米国議会で演説を行うあたりまでを描き、後年、ポーランド大統領に就任する時期は描かない。つまり「連帯」議長としてもっとも困難な時期を鄭重に描いている。映画によって、来日期は「連帯」にとって困難な端境期であったことを知った。ノーベル賞の受賞式も、国外へ出たら帰還は望めないという微妙な時期で、代理として妻ダヌタが出席。その帰路、彼女はワルシャワ空港で 全裸での身体検査を受けるなど当局の嫌がらせを受けた。そんな挿話も映画で丁重に描かれている。
 今だから語れるという後日譚だが、ポーランド人には、まだまだ生なましい記憶となっている時代と人物だ。存命中である人間を描くのは表現者として勇気 のいる行為だ。それを今年87歳になるワイダ監督は挑戦し、ポーランド人共有のワレサ評伝とした。
 監督は、「彼を描くことは自分の義務」だったと語っている。大戦下、ナチドイツ占領軍に対して市民が武装抵抗をはじめたワルシャワ蜂起、その悲劇を描く映画『地下水道』からワイダ監督のフィルモグラフィーははじまる。ワルシャワ蜂起の失敗は、ソ連が意識的に蜂起する市民に援助を与えなかったことが大きい。ソ連は大戦後、ポーランドを衛星国家として呑み込むために、民族派、自由主義思想の人材がナチの手で抹殺されることを“戦略”とした。ワイダも取り上げた、ソ連によるポーランド将校数千の虐殺事件もそのような文脈で起こった。ワイダが映画『カチンの森』ではじめてソ連(=ロシア)を告発するのは、ソ連邦が解体した後であったのは当然だ。
 ワイダは母国の歴史を材に真摯なドラマを創ってきた。ワレサと「連帯」を描くことで時代と母国を批評しつづけてきた表現者ワイダは、彼自身のなかで、やっと「冷戦」が終わったのだろう・・・そう思った。   

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

上野清士

Author:上野清士
店長の最新著書

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
カレンダー
07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -
FC2カウンター
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。