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映画『フルートベール駅で』

映画『フルートベール駅で』 
      ライアン・クーグラー監督

フルートベール駅で


 米国映画史におけるエポックメーキングな作品はサイレント時代なら『国民の創生』だろうし、トーキー時代になってからは『風と共に去りぬ』であることは誰でも認めることだろう。ともに南北戦争を基軸として描いた大作だ。そして、両作ともアフリカ系市民からは痛烈な批判を浴び続けている映画でもある。米国映画の“金字塔”は同時に抜きがたい黒人差別の視線で貫かれている。南北戦争は米国映画のなかにあって繰り返し語られる史話だが、黒人の公民権運動の高揚以降、南北戦争の描き方もすっかり変化した。しかし、黒人に対する人種差別は解消していない。アフリカ系のオバマ大統領時代になっても、それは変わらない。

 本作はそんな米国社会の日常に潜む人種差別の根の深さを大上段に訴えるのではなく、日常性の問題として扱っている故、説得性をもった。まったくドラマチックな要素もない日常光景を淡々と描き追うことによって浮かび上がらせた秀作だ。また、米国銃社会の日常に潜む“事故”、ないしは悲劇をあぶりだした作品ともいえるだろう。銃器の持つ殺傷力と、そこに人種差別のトゲが刺し込むと小さな事件も社会化することを教える。
 事件の舞台は西海岸のサンフランシスコ。この大都会の片隅で暮らす黒人青年オスカー・グラント(マイケル・B・ジョーダン)には妻子がいる。妻ソフィーナ(メロニー・ディアス)はメキシコ系米国人で、その両親とはスペイン語会話するような環境にある。サンフランシスコを含むカリフォニア州は米墨戦争以前はメキシコ領であったからメキシコ系市民が多い。黒人との通婚が多いのも自然の成り行きだろう。黒人家族とメキシコ系家族が混在してホームパーティーを開き、わきあいあいと楽しんでいる光景が出てくるが、これはありそうでなかなかスクリーンで登場しない風俗であった。黒人英語のスラッグとチンガータ流メキシコ下層スペイン語との交錯などもよく演出されている。
 しかし、米国社会にあって黒人層とヒスパニック層、とくに秀でた技術も学歴ももたない彼らは、米国経済にすこしでも陰りがみえると決まって人員整理、解雇・失業の憂き目にあう。手に稼げる技術のない労働者階級はいつの時代、いかなる国でも景気の調節弁と扱われてしまう。
 オスカー青年もまた失業、休職活動中だ。ときどき小遣い稼ぎでマリファナを売ったりしている悪さもある。つまり 、都市の繁栄の陰にどこにでもいるような青年だ。この平凡なるがゆえ非凡な演技を要求される難役をマイケル・B・ジョーダンは好演している。
 夫としてのプライドもあり娘を愛する気持ちも強い。しかし、仕事はなかなかままならない。と書いてくると、ひと頃の松竹大船調といった感じだが、日本映画ではフツーの市民社会には銃器は存在しないし入り込まない。警察だってむやみに銃を取り出して威嚇したり、ましてや発砲することなどめったにない。そのあたりが世相を描いても日米には大きな懸隔がある。
 2009年ニューイヤーディーにその事件は起きた。そう本作は実話を丁寧に再現したドラマなのだ。
 その日、新年を迎えて沸き返る鉄道駅「フルートベール」。混雑した車内のなかで日ごろ仲の悪いグループと遭遇したオスカー青年たちのグループ。車内で小競り合いとなり、乗客の一人が携帯電話で通報したことで車輌はしばらく開扉したまま停止、そこに警察が来て、挙動不審者としてオスカー青年たちのグループが銃を突きつけられて車外に出される。白人乗客もたくさん乗っているが、警察は鼻から黒人青年たちを騒ぎの主犯と目をつける。つまり思い込み。銃を突きつけられた青年たちは乱暴な警官の意のままに床に這いつくばる。抵抗などしないが抗弁はする。こんな不当な扱いには我慢できないとのジェスチャーぐらいはする。それを抵抗の仕草、行動と受け取った新米警官のひとりが突然、発砲。その銃弾がオスカー青年の若いしなやかな肉体を穿(うが)つ。至近距離からの射撃に耐える肉体はない。こうして丸腰の オスカー青年は悲運な死を遂げる。射殺した警官は起訴されるも無罪放免されている。

 日常のなかの悲劇を描くために27歳の新人監督はよく自制し些事をたんねんに重ねながら日常を紡ぐ。オスカー青年の等身大像を描くために寄り道も避けない。そうしたディテールの積み重ねによって観るものはオスカー青年に寄り添えるし、米国社会の隠微な闇も浮かびあがってくる。
 当初、全米で7館の公開でしかなかった注目度希薄な本作が、たちまち1063館に拡大したこと自体、社会的事件だろう。それは、この事件へのアメリカ社会の関心の強さの反映だ。事件の実相を知りたいと考える常識的な市民が映画館に足を運んだのだ。
 事件は白人警官の人種差別的な根から出ていることは疑いようがない。と同時に、それを許すまじと考える良心もまた米国社会には大きな層として存在していることも教える。それでも、銃器はほぼ野放しで存在しているし、民主党は規制を考えるが、護衛の武器として所持すべきだと主張する共和党議員によって否決されている。世論は強く銃規制を訴えているにも関わらず。
 
 フルートベール駅での事件は警官の過剰防衛が射殺となったわけだが、そこに人種差別のファクターもあったために全米で注目することとなったのだ。しかし、ハリウッドの禿タカ企業家も事件に人種差別という繊細な要素があるため映画化に踏み切れなかったようだ。しかし、この事件を若い黒人映画人グループがオスカー青年に共感して、日常普段の青年像を描き出すことに細心の注意を払う演出をしたのだった。人種問題の繊細な綾はやはり被差別者の視点から描いた方が説得力があるし、ある意味、無難だ、という公式は米国映画にもあるのだと思う。スパイク・リー監督の活躍以降、演技陣ではなく制作する側に多くの優れた黒人が輩出している。本作はそれを証明するものだろう 。

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