スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

花持つ女 №25  カン・リー  歌手・ベトナム(1945~)

花持つ女  カン・リー  歌手・ベトナム(1945~)

 『美しい昔』という歌がある。
 米軍が南のサイゴン政府に加担して激化したベトナム戦争下、「歌舞音曲禁止」という世情のなかダビングが繰り返されノイズだらけのテープでカン・リーの歌を聴く市民は絶えなかった。カン・リーの最大のヒット曲で、当時、日本でも発売された。加藤登紀子が日本語歌詞で歌っている。
 戦争は、サイゴン(現ホーチンミン市)が陥落して終結へと向う。
 その直前、彼女は幼い子どもたちともに船で脱出、南シナ海を漂流、水と食糧を失ってから4日後、救出された。国の崩壊が目前となれば、国民的大スターすら生命の保障などないということだ。
 やがて、米国で難民として働きはじめる。病院などで下積み労働を体験する。ベトナム難民は米国各地に散って暮らしていた。旧宗主国フランスにも多くの難民が逃避した。
 米国でカン・リーが生きていることを知ったベトナムの難民たちはカン・リーの歌を求めた。もう、戻ることはできない故郷を思い出すため、あるいは難民社会の結束を促すため。彼女は歌い、その巡業の旅はフランスにも延びてゆく。

 北のハノイ政府を批判しての逃避ではなかった。
 『美しい昔』をはじめ彼女に多くの楽曲を提供した作詞・作曲家チン・コン・ソンはサイゴン政府に睨まれていた。内戦下、中立的な立場など存在できなかった。戦争が家族を引き裂く。陥落寸前、サイゴンで無数の市民が待ったなし残留するか逃避するか、決断を迫られた。チン・コン・ソンやカン・リーの姉は残留。難民もまた生きるために世界中に散った。カン・リーの家族の悲劇はそのままベトナム人の悲劇を象徴する。
 いまのベトナムでもカン・リーの歌は生きている。彼女の歌に国を出て音信不通となった肉親を思い、国外在住者は望郷の思いを託した。それは戦争前の美しいベトナムを想い出させる民族遺産だから。

 カン・リーは一度、家族に会いにベトナムに戻っている。歌手としてではなく、一市民として。そのとき、数年ぶりでチン・コン・ソンにも会う。彼もまた母国に残った者としての悲哀をなめていた。彼のギターでプライベートでカン・リーは歌う。そのことをほとんどのベトナム人は知らぬまま、彼女の歌を口ずさんでいるベトナム民衆であった。

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

上野清士

Author:上野清士
店長の最新著書

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
カレンダー
06 | 2017/07 | 08
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 - - - - -
FC2カウンター
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。