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映画『ある愛へとつづく旅』、そして旧ユーゴ分裂後の内戦を描いた作品

映画『ある愛へとつづく旅』セルジオ・カステリット監督
ある愛へと


 旧ユーゴスラビア連邦共和国解体後、連邦に加盟していた各共和国が独立を巡って小競り合い、そして内戦へと発展した。まずスロベニアで勃発後、同国は旧ユーゴ連邦のなかで最初の独立国となった。つづいてクロアチアが、さらにボスニア・ヘルチェゴビナ、そしてコソボへと戦火は飛び火し、さらにセルビアはNATO軍の空爆まで受けることになる。なかでももっとも深刻な状況を呈したのボスニア内戦だった。かつて東欧で唯一、冬季オリンピックを開催した首都サラエボの市街地を戦域として、無数の悲劇が繰り返された。戦火の激しかったところでは多くの悲劇が繰り返された。当然、映画の素材を無数に提供することになった。サラエボ舞台に何本もの秀作、映画が撮られた。この秋(2013)、公開された映画『ある愛へと続く旅』も、その秀作の系譜に位置づけられる作品だろう。

 主演はスペイン映画界、というより西欧映画界を代表する女優ペネロペ・クルス。本作では、イタリア人に扮する。
 クルスはこれまで筆者が覚えている限りスペイン女は当然だが、イタリア、フランス、ギリシャ人、米国人、さらにアルバニア人女を演じてきた。活動の場は世界大という屈指の国際俳優だ。
 なかでも印象的だったのは、ソ連崩壊以後、さしもの独裁体制を維持できずに国境を開き市場経済を導入したアルバニアの疲弊に耐えられず、経済難民としてイタリアで働く貧しいアルバニア女性を演じた映画『赤いアモーレ』での熱演だった。その映画によって筆者などはアルバニアの経済疲弊の内情を公立病院の設備などを通して具体的に知ることとなった。そういえば最近観たフランス映画『黒いスーツを着た男』に旧ソ連邦のモルダビアの疲弊が酷いことを知り、パリにはモルダビアからの経済難民でつくる小さなコミニティーまであることを教えられた。

 むろん、ボスニア内戦下で西欧諸国に亡命したボスニア人も多い。
 本作『ある愛~』は、『赤いアモーレ』のセルジオ・カステリット監督とふたたび共同して制作した秀作だ。カステリット監督は俳優でもある。『赤い~』は主人公アルバニア女に恋する医師を好演し、本作ではイタリア陸軍将校役だ。しかし、映画はクルスのものである。彼女の好演がなければ本作は成立しなかったはずだ。
 『ある愛~』のあらすじを紹介すれば次ぎのようになる。
 ローマに暮らすジェンマ(ペネロペ・クルス)に、ある日、青春時代の一時期を過ごしたサラエボから突然、ボスニア人の男友だちゴイコから電話が掛かってくる。サラエボに来ないか、と。
 ジェンマは16歳の一人息子ピエトロとの難しい関係を修復するため、自分の過去を訪ねる旅にでることを決意する。現在のジェンマは40代半ばという中年女性だが、これをクルスは演じ切っている。そして、素顔のままさらせる学生時代のジェンマ役、結婚後の30前後、そして40代と三つの世代を見事に演じ切る。
 そのジェンマの学生時代の旅に見出したユーゴ時代のボスニアには他の東欧諸国にはみられない「自由」があったことが描写されていて面白い。当時、欧米はむろん、日本でも流行ったロックがセルボ=セルビア語(?)で流れていたり、ピッピー文化そのものがあったことを知る。サラエボ冬季五輪直前の日々。その時代にジェンマは米国から来た写真家志望のディエゴ青年と出会い恋に落ち、やがて結婚する。
 結婚後のディエゴは写真家としての野心を封印し、退屈だが生活のための広告写真家として働いている。ふたりは子どもを熱望したが、ジェンマはこどものできない身体だった。ふたりのあいだが少しづつきしみはじめる。ディエゴはユーゴ解体後の不穏なボスニアからのニュース映像をみながらサラエボの旧友たち を心配し、また写真家としての充実感を取り戻そうとひとり旅立つ。その後を追うジェンマ。そして、戦火のサラエボでふたりは人道支援活動にはいる。
 ボスニア内戦を通じて、男と女の愛について、生みの親と育ての親の葛藤。内戦下の不条理のなかで子を孕み生み、父親の存在すらしらず育てる男と女・・・ボスニアの女性監督ヤスミラ・ジュバニッチが撮った『サラエボの花』の主題も母性愛、そして人間の存在のありようを見つめた佳作だったが、本作もボスニア内戦という異常な季節を生き延びた人々の体験を通して突きつけてくる人間愛そのものをテーマとしているものだった。
 サラエボに平和は訪れてからすでに12年が経つ。昨年、そのサラエボ及びボスニア国内を車で走りまわった。サラエボ市内にはまだ銃弾の痕を無数に残す集合住宅、焼け焦げたまま残骸をさらすビルなどがあった。そして、一時、臨時墓地となったオリンピック競技場も復活していたが、その競技場をまるで囲繞(いじょう)するかのように林立する白い墓標に声を失った。墓標の没年はたいてい1990年初頭の記していた。若い死の群れがそこに刻まれていた。
 
映画『サラエボ、希望の街角』 ヤスミラ・ジュバニッチ監督(2010年・ボスニア)
映画『サラエボの花』 ヤスミラ・ジュバニッチ監督(2006年・ボスニア)ジュバニッチ監督にはお会いした。誠実で聡明な  女性だった。質問には真正面から答えてくれた。しかし、言葉の枝葉の部分に容易に言葉にできない、あるいはしたくな いものが停滞しているような印象を受けた。初見のジャーナリストに答えるべき事柄はこれまでという見えない線がそこ  にあるように思えた。笑顔は冷たいという印象だった。同監督は砲火の下、サラエボに留まっていた一市民でもあった。
映画『あなたになら言える秘密のこと』イサベル・コイシェ監督(2005年・スペイン) 哀切極まりないドラマだが、愛の志向を描いて心に染みる。
映画『沈黙の戦場』クリスチアン・ミリッチ監督(2007年・クロアチア)第二次大戦中、ナチドイツと共同戦線を張ったクロアチアの右翼軍の存在を明らかにしている。
映画『最愛の大地』アンジェリーナ・ジョリー監督(2011年・米国)
映画『パーフェクト・サークル』アデミル・ケノビッチ監督(1997年・ボスニア=フランス)
映画『セイヴィア』ピーター・アントニエヴィッチ監督(1998年・米国)米国内のイスラム教徒を憎悪する兵士が、ボスニアでセルビア側に属して戦うなかで、自分の反イスラム観が否定されていき、セルビア極右私兵たちの人権犯罪を告発する。
映画『ウェルカム・トゥ・サラエボ』マイケル・ウインターボトム監督(1997・英国)
映画『ノー・マンズ・ランド』ダニス・タノヴィチ監督(2001年・ボスニア、スロベニア、イタリア他)
映画『ブコバルに手紙は届かない』ボーロ・ドラシュコヴィッチ監督(1994年・ユーゴスラビア、イタリア他)クロアチア国境、セルビアに面した最大の町ブコバルの約8割が内戦で破壊された現実を若い夫婦が内戦で引き裂かれる現実を描く。
映画『非常戦闘区域』ダニエル・カルバルソロ監督(2002年・スペイン)コソボの紛争地に平和維持部隊として派遣されたスペイン部隊の話。
映画『ビフォア・ザ・レイン』ミルチョ・マンチェフスキ監督(1994・マケドニア) ユーゴ解体後、もっとも早く映像化された内戦映画のひとつ。秀作である。
*後、2,3作、書き落としているはずだが。割愛。元サッカー日本代表のオシム監督に焦点を当てた記録映画『引き裂かれたイレブン』も忘れがたい印象を残す。彼はサルビア出身のボスニア人、内戦勃発期に内戦でボスニアの敵国となったセルビア・ベオグラードのチームの監督にして、ユーゴスラビア代表の監督でもあった。それから政治亡命し、戦火のサラエボに遺された家族とは数年、会えないという状況がつづく。そうした政治的な困難時代を過ごしたオシム物語だ。

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