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ラテンアメリカでの〈9・11〉

 ラテンアメリカでの〈9・11〉
ビクトル・ハラ
 (写真はビクトル・ハラ)
 毎年、〈9・11〉が近づくとさまざまな思いが湧いてくる。個人的には二ユーヨークのツインタワーの崩壊余波で、長女がメキシコ市の拙宅に遊びに来るという予定は米国の飛行場閉鎖で中止になったという小事を思い出す。
 また、ラテンアメリカの政治や経済、文化活動を定点観測してきて筆者にとっては、やはり〈9・11〉は1973年9月11日、チリのサルバドール・アジェンデ大統領の人民連合政権がピノチェト将軍による軍事クーデターで流血のなかで崩壊した、その日として刻まれる。
 それから40周年を迎え、今年もさまざまな行事が行なわれた。
 チリは軍事クーデターによって3つの大きな才能が同時に失われた。それも世界的な才能である。
 ひとりは、大統領本人が執務室で戦いに倒れ、民衆歌手ビクトル・ハラは、拘束されたサッカー場でギター持つ手を打ち砕かれた後、射殺され、ノーベル文学賞詩人パブロ・ネルーダは自宅で不可解な死を遂げた。詩人はクーデターから数日後に急死する。
 また軍事クーデターによって多くの才能が国外に流出した。民衆歌手、そして民俗音楽研究家であったヴィオレタ・パラの子で歌手アンヘル・パラなどがメキシコに亡命した。メキシコは多くの亡命者を受け入れた国として現在、チリから賞賛されているが、それを反映するように9月30日、メキシコ市のアウデトリオ国立劇場で〈9・11〉で無惨に仕事を断ち切られた3人の業績を顕彰するイベントが行なわれた。
 これにはチリからフォークグループの大御所キラパジュン、インティ・イジリィマニが参加し、メキシコからはクーデター後、チリの民主化を訴えたロス・フォルクロリスタスらもステージに上がる。
 キラパジュン、インティ・イジリィマニともに、アジェンデ政権樹立前夜、民衆の政治運動が高揚するなかでチリの大学生たちが民衆の声、人民連合の勝利を訴えて結成したグループだ。電気もない僻村でもアジェンデ支持を訴えるため、彼らはアコーステック音楽を追求した。クーデター後は当然、軍事政権下では活動できず、生命の危機に晒されることになるのでパリに亡命、そこを本拠に世界各地で軍事独裁に反対する国際世論を高めるために公演をつづけた。日本にもやってきた。それは単に政治的プロバカンダの主義主張が優先するものではなく、高い音楽性で聴衆を獲得した。当時、キラパジュンのステージを水道橋の労音会館ホール(当時)で接している。
 キラパジュン、インティ・イジリィマニともチリが民主化された後も今日まで音楽活動をつづけていた。しかし、長い歳月は音楽内容を変えた。キラパジュンは社会参与の姿勢を第一義としたが、インティはアート志向を高め観客を選ぶようになった。歳月は亡命者の姿勢を変える。
 メキシコ公演では、軍事政権下での人権犯罪を糾明も訴える。非合法で殺された犠牲者の数さえ、いまだ特定されていない現状があるからだ。そして、チリの悲劇を忘れるなとラテンアメリカの歴史に刻もうとも訴えるようだ。
 ラテンアメリカでは、〈9・11〉はニューヨークの悲劇ではなく、アジェンデ政権が武力で倒された日として記憶する者が多い。

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