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花もつ女たち №29 イザベラ・バード(英国・旅行家*1831~1904)

 イザベラ・バード(1831~1904)は19世紀後期に世界を旅することによって自立を求めた英国人女性。22歳から70歳までひたすら世界を旅しつづけた。
 旅をすることによって人間を大きくしていった。旅を記録するため最初は自らの文才に頼った。風俗・自然など描写は文章だけだったが、より正確に記録しようとスケッチをはじめ、わがものにする。しかし、画家になることは本分ではない。やがて写真撮影・現像など当時の最新の技術を修得していった。しかし、写真師と立つこともまた本文ではない。また、夫が医療伝道家であったため、彼女自身、医学にも多少、心得があったことで過酷な旅でも重篤な病に冒されることはなかった。しかし、地域医療家にもならない。当時、男にはあった旅装だが、女にはそれがないため彼女自ら工夫も重ねている。けれど、第一大戦下、女性の服装を締め付ける“拘束”から解放したシャネルのようにもならなかった。
 イザベラが次々と習得していく技術はすべて、旅をより拡張するための手段に過ぎなかった。すべて、彼女の一対の脚のための“用の具”となっていった。
 「女にできることは女がする権利」とは彼女の心情だ。
 まだ女権と いうことを声高に言わなければ何事も前に進まない時代に南米と南極を除く大陸を歩いた。
 日本にも開港から20年目の1878年に来日し、東北地方を歩いて縦断し北海道入り、アイヌの集落に入り、ともに生活するなかで記録を取った。文化人類学者としても先駆的な位置に立つ人でもある。その記録『日本奥地紀行』は現在も明治期の日本を客観的に記録した証言集として第1級の資料価値をもち版を重ねている。
 英国本国にいるときは病弱といわれた。150センチにも満たない小柄な女性であった。
 それが旅に出るための準備をしているあいだにいつも元気になった。当時の旅は今日ではまったく考えられないほどの困難をともなっていたはずだし、女性であるがためにこうむった性的差別もあっただろ う。そした旅の途上でも、夜毎、その当日の記録を留めるために明かりを灯しつづけた。意志堅固な人でもあった。
 
 イザベラの紀行集、評伝、そして踏査した地図をみながらあらためて思うことは当時の大英帝国の勢力、世界帝国としていまだ拡張しつづ けていた時代の人だということだ。
 英国の影響が希薄な中南米、東欧からロシアは未踏査のまま遺されている。サハラ以南のアフリカも未踏だ。
 大英帝国の繁栄と英語の流布という政治的要因を抜きにしては語れないイザベラの旅だが、しかし当時、彼女に同伴したり、後継者を自認する女性が英国に現れなかった。当時のフツウの女性はもとより、進取の気性に富んだ女性にしても、イザベラの事業は仰ぎみるもので、あまりにも遠くに輝く明けの明星だった。
 「史上屈指の旅行家」という栄誉はやはり彼女の類まれな個性、才能を活かした努力の賜物と言うしかない。紀行作家として確かの目があったからこそ、その著作は古典となりえた。
 「社会で与えられる自由に満足せず、それ以上の自由を求める女性のパイオニアであり、不便な地域、危険に満ちた地域を楽しんで旅をした、恐れ知らずの旅行家」。(オリーブ・チェックランド著『イザベラ・バード 旅の生涯』川勝貴美訳より)

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