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花もつ女たち №30 女俳諧師たちの旅

女俳諧師たちの旅・・・隠れた日本女性の旅

 イザベラ・バードが英国ヨークシャー州で1831年に生まれる約100年前、日本では鎖国の世の江戸時代の巷に多くの女性俳諧師が活躍し、そして諸国を経巡って発句し、紀行句文集を多数公刊していた。
 その大半が当時の支配階級である士族や皇族ではなく市井の女たちであった。
 明治以降、加賀の千代女という俳諧師の作品を除いて、ほとんど歴史に埋もれてしまったが、俳諧史のなかでは繰り返し言及されていた。しかし、散文を本流とした近代の「日本文学史」のなかでは傍流に追いやられた。
 近年、江戸時代の市井の女たちが自らの生活実感を芸術表現として俳句を活用した意味、あるいは俳句という文学を掌中にすることによって自立した女俳諧師たちの存在を見直そうという研究者、そのほとんどは女性研究者だが成果を確実にあげている。
 ここでは、旅をつづけた女俳諧師について 紹介しておきたい。
 芭蕉の旅が、各地方に散在して住む門下を訪ね、句会を開くなどして歩きながら旅費を稼ぐものであった。同時に地方に一門の拡張をはかり勢力を成すことでもあった。旅は仕事であり、芸術表現になくてはならない場であった。
 俳句を生業として自立させた俳諧師はよほどの蓄えでもない限り、生きるためにも旅をしなければならなかった。芭蕉もそういう人であったし、旅をしなければ作品は生み出せなかった、ということだ。われわれが知る芭蕉の句の多くが、紀行句文集『奥の細道』などに収録されていることは誰でも知るとおりだ。
 諸九尼という女俳諧師がいた。

  夢見るも仕事のうちやはる雨
  けふはみな筆を時雨にそめにけり

 彼女の旅は五十も半ば過ぎてから芭蕉の足跡を追うようにはじまった。九州・筑紫の人で、大きな庄屋の娘として生を享け、長じて近在の小庄屋に嫁いだ。空白だからけの前半生はそれだけ を伝える。しかし、旅する俳諧師と出会うことで人生は一変する二度と故郷にもどることはできないという不退転の決意で駆け落ちする。京都や大阪で暮らすことになるのだが、夫と死別すると生きるために俳諧師となる。それ以外の道は閉ざされていた。そして生きるために旅をつづけた。代表作の紀行句集『秋かぜの記』は芭蕉の旅を追体験もした約半年の旅であった。57~58歳という年齢での旅であった。女宗匠として句会では点者をつとめながら旅費を稼ぎながらのものだった。そういう旅をくりかえした。
 諸九尼以上に旅に明け暮れたのが田上菊舎尼。その生涯のほとんどを旅の空で過ごした。
 公刊された作品『つくしの旅』『九州行』『一聲行脚』『吉野行餞吟』『九國再遊』の表題をみている だけでも旅の人であったかがわかるだろう。現存するのはわずかだが旅の途上、絵も描いた。
 このふたりの他にも句集を公刊したことで名の残った職能的女俳諧師の名に、星布尼、此葉女、燕志女、琴上などが俳諧史に記されている。もし、鎖国という時代でなければ、菊舎尼などは知の拡張を求めて海外に飛躍していったかも知れない才能だ。
 イザベラに先行すること百年、日本には俳句を通して自立し、旅をすることによって自己拡張を求めた女性が多数存在した。それは文芸史だけでなく女性史のなかでも世界的に特筆するものではないだろうか。

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