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冠雪の富士を眺めつつ

冠雪の富士を眺めつつ
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 ここ数ヶ月、よんどころない私情で都内、大田区池上で週の半分を過ごすことになった。名刹・池上本門寺への境内へ誘われる参道にほぼ面したマンションの一室が、サッカーW杯の観戦場となって以来、なんとなくそういうことになってしまった。むろん仕事場でもある。
 本門寺は日蓮上人が生涯最期の二十日あまりを過ごしたといわれ、信徒にとっては霊場だが、仏門に無縁な私には起伏の多い散策の地として活用させていただいている。
 都内には名刹といわれる古寺も多いけれど二十三区でこれだけの高低差をもつ寺は唯一である。広重の『江戸近郊八景』中に「池上晩鐘」のという絵があって、高い樹木に囲まれた境内のようすなどは今日とあまりかわらない。もっとも往時は本堂の前に多摩川の流れを眼下に、東方に江戸湾が眺望できたはずである。その江戸湾の方向から陽はのぼり、西方彼方に眺めいるのが霊峰・冨士となる。太陽の運行は本門寺の広大な空間180度のパノラマとして展開していたのだ。そういう地である。
 マンションの一室は11階にある。そのリビングルームは眺望みはらしに恵まれている。江戸湾はビルの林立に遮られているが、船舶のかわりに大型旅客機の絶え間ない流れを追うことができる。羽田の管制塔もみえるが爆音はいっさい聴こえない距離だ。音がないと飛行機は滑走する禽獣のようにしかみえない。夜ともなれば飛行機の表示灯が空の一角で数珠つなぎの光跡となってたわやかに動く。
 数日前、秋晴れの朝、西方の富士山が五合目あたりまで冠雪した。仕事で一夜、パソコンを注視した目には痛く染みる純白の積雪だ。そして、流れる大気は硬く冷たかった。炎暑としかいいようのない夏もどこか懐かしくなるような晩秋、冨士はおっつけ全身に絹の衣をまとうだろう。
 日蓮上人はこの地で六十一歳で入滅した。私はその六十一歳となってしばらくして池上の地を知った。法華宗に帰依もしなければ仏徒でもない私だが、なんとなしの因縁をおぼえる。城北の荒川を渡るとJR京浜東北線は城南の多摩川まで大きな川のながれをみない。東京はそのあいだに心臓部を呑み込んでいる。川の流れはいつの時代でも国を分かつ境である。その境の端と端……南と北を週にいくどか往復する。私の六十一歳は悟りなど啓(ひら)けようもない世俗の網に囚われている。そして、それに潔く居直っている。
 釈尊は陽光苛烈の地の人であった。マンションの一室は本門寺に背を向けている。太陽の楕円の運行に面している。景観は日蓮一代の波瀾を演じさせた鎌倉の世から比べれば、まったく様変わりしたが太陽は永久不滅といささかも律動を変えない。原始の活力をそのままに生きている。その太陽の聖性を日々、拝している。もしかしたら私の健脚も太陽のおかげかもしれない。本門寺の傾斜の激しい此経難持坂(しきょうなんじさか)も難事とも思わず上がりきり、力動山の墓に詣でたりする。子どもの頃の“英雄”であった力動山もいまは私より若輩者になってしまった。

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