スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

映画『アマゾン大冒険』(ティエリー・ラコベール監督)

映画『アマゾン大冒険』(ティエリー・ラコベール監督)
yjimage (1)

 スクリーンの高温多湿の気配を堪能しながら筆者はいろいろな思いに捉われていた。そのほとんどがラテンアメリカで暮らし旅した思い出だが、アマゾンはまだ未踏ということで憧憬は膨らんだ。映像は感性の高揚をもたらす。

 映画の黎明期、目端の利いた興行主たちは大きな撮影機材を肩に世界の大自然、その驚異 、珍しい風俗、秘境などを撮って公開し儲けた。その撮影者の視線の好奇心に満ちた喜びのふるえまでみてとれる。
 その役割がテレビに脅かされるようになっても、大自然を眺望するにはスクリーンの奥行きのある大きな画面はまだまだ魅力があった。しかし、すでにこの地球から秘境とか人跡未踏といった表現で語れるところはほぼ失われた。北極も南極も幾度も踏破され、高峰の頂きにゴミが散乱する時代になってしまった。
 しかし、アマゾンにはまだ人の侵入を拒んでいる場所が無数に残る。それは永久に守られるべき自然だが、いまやその環境すら危うくなっている。そういう現実もみせているのも本作である。
 本作は基本的にファ ミリー映画。
 だから環境破壊とか自然保護といったスローガンを前面にだしていない。ありのまま無垢な目でアマゾンを眺望しようという視点だ。
 けれど現代人 の視線にはいわずもながの知恵が付きすぎている。過剰ですらある。
 そこで本作の主人公、というより狂言回しか、一匹の小猿、その名もサイと呼ばれるフサオザルのオスを登場させた。
 ドキュメンタリーだからストーリーはない。強いて言えば、ブラジルの都会育ちで少女に飼われていたサイが輸送中の飛行機が事故にあって、アマゾンの大自然の懐深い地に不時着。飛行士たちは死亡し、サイは待ったなしで生きてゆくための闘いに投げ出された。といっても小猿、大自然の「恐怖」を知らない。出会うものすべてが新鮮な体験であり、驚きだ。カメラはそんなサイの好奇と恐怖、そして彼の食欲そのものを追う。
 生き延 びるため捕食活動は欠かせない。
 都会ではエサとして与えられたものだが、ここでは自前で調達しなければならない。
 ジャングル生活初心のサイが、やがて本能 の命じるままに自然とともに生き抜く知恵を身につけていく。その過程の日々がサイの視点から描かれていく。そこに人の目ではない、フサオザルという小哺乳類の目でみようという試みがあり、スクリーンのその視線の反映となっている。サイにはそれこそ人間的なサル知恵があるわけではない。自然破壊とか環境問題といったすこぶる人間的な関心には無関係だが、現実にはサイもやがて脅かされる、という等閑視の視線。スクリーンも「問題」を強調することはない。
 サイが、アマゾンで生き延びていける知恵を獲得する後半部、ジャングルに突然、荒廃した大きな空間に踏み込む。いぶかしげなサイの視線の先で少女が微笑ん でいた。貧しい開拓者の娘であった。娘の家族が森を焼き払ったのだろう。映画はそれを指弾するのでもなく、ありのままに映すだけだ。
 
 1994年、ハリウッドのヒスパニック映画人の精神的な支柱であった故ラウル・ジュリア、日本では一般的に「アダムス・ファミリー」シリーズあたりでお馴染みだが、彼がこん身の演技でアマゾンの農民シコ・メンデスを演じた映画『バニシング・シーズン』。長編テレビ映画として制作され有料テレビ網にのって各国で放映された。アマゾン自然の保護を貧しい農民の立場から訴え、指導者として政府、開発業者と対峙し命を奪われたシコの物語はアマゾン保全の声を世界に伝播させた。もう一つのアマゾンの語り部として是非、参照されたい。  

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

上野清士

Author:上野清士
店長の最新著書

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
カレンダー
10 | 2017/11 | 12
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 - -
FC2カウンター
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。