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愛の神話は政治の「独裁」にも抵抗する

愛の神話は政治の「独裁」にも抵抗する
 エミリオ・アラゴン監督との対話
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 毎月、仕事で内外の映画監督にインタビューを繰り返している。
巨匠といわれる翁からデビュー作の公開をきっかけにというのも多い。一作で名前を見なくなってしまった若い才能もあった。9月(2010年)、スペインのエミリオ・アラゴン監督と新宿駅近くのホテルで対話した。たった40分の対話だったが親密な味わいのある良い時間だった。
 毎年9月、新宿の一映画館で開催される「ラテンビート映画祭」を数年前から少しお手伝いしている。今年7回目を迎えた。そのオープニング作品となったのがアラゴン監督の『パッハロス・デ・パペル(紙の鳥)』。映画は、オープニングにふさわしい佳作だった。日本での一般公開は来秋の予定となる。映画評はその頃、試写室に入りなおして書くだろうが、監督との対話の記憶は薄れてしまうので、ここで少しメモ程度に記しておきたい。
 監督との対話に後から、映画に軽演劇一座の歌手役で出演していたカルメン・マチさんも来日し、フランコ時代の少女時代の日々などを聞かせてもらった。修道会付属の小学校に通っていたようで、そんな日々のなかにザクッと入ってきたフランコ将軍の訃報を、そう「朗報」といった軽やかさで語っていたのが印象的だった。「だって、まわりの大人たちがなんだかはやいでもいた感じでしたもの」と。
 映画は市民戦争の渦中から共和派の敗北、フランコ独裁のはじまりというスペイン現代史にとってもっとも波瀾に富んだ時代が背景だ。内戦故に隣人に対する視線は揺らぎ厳しく、あるいはさもしくもなっていた世情はなかなか癒えない。故に人心も荒み〈愛〉は希薄にエゴイステックになった時代だが、そんな時季にも人のなかには無償の〈愛〉を命を賭して守ろうとするものもいる。そして、そうした〈愛〉は時代のは荒海にさらわれて家族の物語として語られてゆくに過ぎない。文学や映画はそうした歴史に埋もれた〈愛〉を鄭重に紡ぎ取って普遍性を与えるものだ。『紙の鳥』はそんな映画である。
 アラゴン監督は、そんな物語を長編一作目にした。1951年4月、キューバのハバナに生まれた。父親がフランコ独裁下の母国からキューバに逃れ、その地で結婚した。監督は、「(映画は)父の体験が通奏低音になっている」と示唆した。この長編に賭ける監督の思いはかなり重いものであったように思う。
 彼は、カリブ・スペイン語圏特有のコメ・エセ(come ese)、いわゆるSの音を発音しないイントネーションとはまったく無縁の言葉の持ち主だった。といって中米でスペイン語を学んだ後学者の私にとっては、少々性急な感じのするスペイン人のスペイン語とも感じがちがった。そのささやかなイントネーションの違いにこの監督の出生にまつわる家族の物語が反映しているのかも知れない、と思ったりした。
 映画のBGМはトリキティシャの音色。イベリア北部山岳地帯のバスク特有のボタン式ダイアトニック・アコーディオン。映画の悲劇的な主人公で哀しみ家族史を持つ喜劇役者であるホルへの手持ち楽器として出てくる。バスクから出てきた男という象徴としてのトリキティシャ。吟遊詩人にとってのギターであり、リュートなのだろう。「演奏しているのはケパ・フンケラです」と監督。まだ30代と思うが、視野の広い創造的なトリキティシャを聴かせるバスク出身の当代を代表する名手。そして、この映画は他のどんな楽器より蛇腹楽器の震振音が〈愛〉の揺らぎを語るにふさわしいものになっていた。タンゴのバンドネオンの揺らぎもほんらい、そうものであったと私は思っている。音楽と映像が琴線で触れあっている数少ない例としても『紙の鳥』は記憶に残っていくと思った。
エミリオ・アラゴン、カルメン・マチ_023
(エミリオ・アラゴン監督とカルメン・マチ 写真・上野清士)

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