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花もつ女たち №33  プーラン・デーヴィー (インド*盗賊団首領/政治家)1963~2001

プーラン・デーヴィー (インド*盗賊団首領/政治家)1963~2001

 事実は小説より奇なり、というが彼女の劇的な生涯こそ、そう形容するに相応しい。自伝が世界的なベストセラーになり、評伝映画が制作されヒットしたのも、その事実の力だ。
 プーラン・デーヴィーとはヒンディー語で「花の女神」の意。しかし、彼女の別称は「盗賊の女王」。下層カーストの出身でヒンズー教を信奉している限り職能的に、インドでは下位労働とされる搾乳者、あるいは牧夫の地位に甘んじて暮らすことを強いられる。貧農の家庭に生まれ育ち、差別と別紙のなかで子ども時代を過ごす。
 いや、日本的な意味での子ども時代は彼女にはありえなかった。
 11歳で結婚を強いられ、夫の暴力を避けるようにして、生きるために盗賊団に加わるしかなかった。それも10代の半ばのことであった。
 それまでの労苦、非人道的な扱い、女性の尊厳などまったく無視された歳月のなかで、彼女をして不退転の戦闘者にさせた。
 少女の身で盗賊の女王となった彼女にとって、その“盗賊”行為は、上位カースト者たちの不当な重圧を跳ね返す階級闘争でもあった。しかし、彼女にはその自覚は明確にはなかった。まだ文字も読めない少女だった。彼女が陣頭指揮して襲ったのは、当然、資産家、富裕 層など上位カースト者たちであった。盗んだ金は貧民に与えている。そうした行為は彼女を英雄視する層を生み、生きた伝説上の人物とした。義賊・・・。
 しかし、敵対する貧しい農村で暴虐を働き、殺人もいとわなかったことも事実で、彼女に対する毀誉褒貶が出てくる土壌となる。けっして義賊ではない。
 彼女の真実が世界的に知られるようになったのは恩赦の約束とともに警察に自ら投降し、はじめて刑務所に収監され、落ち着いて自分を語れるときを持ってからだ。
 彼女の安らぎは刑務所に入ってはじめて実現したのだった。
 殺人も重ねた彼女の刑期は政治的取引によって11年だった。
 釈放後はインドの公民権運動の活動家となり、ヒンズー教から仏教に改宗、下位カースト者たちの復権も目指した仏教再生運動に参加する。1996年には社会主義者党から出馬し国会議員に当選したが、盗賊時代に襲った村から報復され、暗殺された。38歳の波乱に富んだ、あまりにも短い叙事詩そのものの一生であった。

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