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 昭和の歌舞伎座が消えて

 昭和の歌舞伎座が消えて
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 十三年間のラテンアメリカの暮らしに終止符を打って東京に戻ったとき、私は日本の文化の粋をふたたび体内に注入しようと思った。十三年の熱帯暮らしで、日本のなにかが漂泊されてしまったように思ったのだ。
 最初の文化回帰は上野公園の東京国立博物館の年会員になることからはじめた。
 年会費2500円を払うと企画展が3回無料になり、常設展示室はいつでも入館無料となるお得な会員パスポートを買ってせっせと通った。きょうは陶芸室を攻めよう、来週は土器室、来月は彫刻を丹念にみてやろう……という具合いに。ついでの1時間、2時間をやりくりして通った。映画も数少なくなった名画座2館の会員になって不在のあいだに見逃した映画をそれなりに消化した。DVDでみられるのだが、やはり大きなスクリーンでみたい。その映画のなかに新たな楽しみを見出した。松竹が「シネマ歌舞伎」というものを制作しはじめたのだ。
 歌舞伎座で評判の良かった舞台をそのまま映像化して、臨場感極上の映画にした。歌舞伎座の特等席2万円近い席で観劇するような位置をスクリーンは与えてくれた。映画は2000円。山田洋次監督が「監督」したことをウリにした一篇があった。しかし、これはどうみても「監督」作品ではない。正確にいえば〈監修〉である。「シネマ歌舞伎」では監督の出る幕はほんのわずかだ。歌舞伎は役者のものであり、伝統の力だ。伝統を改ざんすることはできない。監督の仕事はせいぜいカメラの位置を決め、クローズアップする場を選ぶ程度だ。映画という新しい表現媒体は、歌舞伎の歴史に服従する。これは人形浄瑠璃でも能楽、狂言でも事情はおなじだ。賢明な山田監督もそれを由とした。その制作態度がとてもよかった。
 シネマ歌舞伎はまず築地の東劇でロードショー公開された後、全国主要都市を回わる。公開劇場はわずかだが、ふだん歌舞伎に接することのできない地方での上映は貴重な機会だ。NHKが舞台中継することがあるが幾ら液晶パネルが大きくなっても、スクリーンでドルビーサウンドで聴く映画とは全然、別物だ。
 東劇で観劇した後、有楽町駅を目指して歩くと歌舞伎座の前に出る。来年、取り壊される歌舞伎座は「さよなら公演」の真っ盛りで連日、地方からも貸切バスを連ねて最期の歌舞伎座詣でする善男善女は引きも切らない。外国人の姿も珍しくない。
 現在の歌舞伎座は昭和26年(と元号で表記する)の建物だ。すでに半世紀以上が過ぎた。東京大空襲で焼けた跡に建ったものだ。戦後昭和を代表する建物である。空襲で焼けた歌舞伎座の建物は関東大震災で焼けた跡に建った大正時代のものだった。そして、こんど建てられる歌舞伎座は平成を象徴する高層建築となる。歌舞伎座はその高層ビルの下層の大半を占めるものになるらしい。
 歌舞伎見物の醍醐味は天井桟敷でみる「幕見席」にあると思うけど、あたらしい歌舞伎座はその“伝統”の席を残してくれるかと心配だ。「幕見席」こそ次代のファンを育成する場であるからだ。

 ……1年経った。
 歌舞伎座の消えた大きな空間にいま丈高い建築資材が林立している。銀座の空が広くなった。やがて、その空っぽの空間そのものを懐かしく思い出したりするのだろう。人間とはそういうものだと思う。そして、昭和の歌舞伎座も知らない世代が名籍を継いで伝統を担い、平成の歌舞伎座しか知らないファンが未来の歌舞伎をささえてゆくのだろう。平成の歌舞伎座が開館する頃、わたしも数人の孫持ちになっているにちがいない。 

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