スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

花もつ女たち №37 ティナ・モドッティ(写真家 1896~1942)

ティナ・モドッティ (イタリア・米国・メキシコ 写真家 1896~1942)

 波乱万丈の生涯を、20世紀前期の世界史の綴れ織りのなかで過ごしたといってよい女性だ。
 イタリアに生まれ、少女時代に出稼ぎで米国へ渡り、紡績女工として働きはじめる。
 この時代、イタリアから米国をはじめ米大陸に多くの経済難民が押し寄せた。この時代の米国裏社会、禁酒法時代に形成されるのがイタリア系のマフィア組織だ。米国にわたっても実入りのよい仕事にめぐり合わない移民たちの不満の受け皿となっていた。

 ティナは数年後、その美貌と野心、捨てるもののない青春の傲慢さを武器に黎明期のハリウッドに希望を賭ける。主演作も撮った、将来も嘱望された。しかし、サイレント映画の固定された演技は、自分の演劇観に沿わないと蹴り、恋人とともにメキシコに渡る。恋の逃避行。
 その恋人はのちに米国写真史に名を遺す才能だが、メキシコ現代美術史ではティナに写真を教えた男として記載される。ティナは、実作をはじめるとどうじに、その感性で師である恋人の写真を凌駕した。
 ティナが生涯に残した写真は、埋もれた作品があったとしても最大100点前後でしかない。写真芸術の開拓期であったとしても少ない。
 ティナ写真の最良は1929年2月、メキシコ市の個展で発表された作品につきる。以後の作品はすでに残照となっている。先年、日本で公開された映画『フリーダ』をご覧になった読者がいたら、ちょっと思い出してほしい、この個展の会場シーンに多くの時間が割かれ、ティナとフリーダ・カーロが踊るシーンがあった。ティナの絶頂期でもあった。
 ティナの代表作の1枚に「旗をもつ女」がある。アナキズムを象徴する黒旗を掲げるメキシコ先住民女性を撮ったものだ。黒旗がかすかな風をはらんで先住民女性の身体に同化しているような見事なカットだ。ティナはこの「旗をもつ女」を“自由の女神”と解釈した。
 メキシコの貧困、先住民たちの苛酷な境遇をヒューマンな視点で撮った一連の写真はティナ芸術の最良だ。芸術性と社会性を見事に融合させたのティナの天賦の美質と感性であって、書物の蓄積ではない。生理的な直感・・・。

 メキシコを象徴する日常雑記、静物を雄弁なオブジェとした一連の写真は後続のメキシコ写真家及びラテンアメリカの写真家、とくに民族派の若き才能に深甚な影響を与えた。いや現在なお影響を与えている。同じようなオブジェ写真を、彼女の師であった米国人写真家もほぼ同時期に撮っている。しかし、なんという違いか? それはもう光を捕らえる一瞬から、まるで入射角度が違うのではないか、と思えるぐらい変質する。異質だ。
 しかし、ティナは個展の成功を尻目に写真を半ば放擲(ほうてき)する。
 スペイン内戦が勃発すると、ティナはカメラを捨てて共和派の戦列に加わりフランコ王党派に銃を向ける。同内戦で不滅の報道写真を撮ったとされるのがロバート・キャパだが、もし、ティナがカメラを手放さなかった、いったいどんな写真を撮っただろうか、とも思えるが・・・スペインの戦地に赴く船のなかで写真家である自分を捨てていた。
 共和派の敗戦でティナを欧州大陸を彷徨することになる。辛酸をなめる。
 メキシコに病いを抱えて戻ってきた頃は、すでに美しかったティナの面影すら失われていた。その時期の写真が数枚残る。メキシコに帰国後、ティナは3年しか生きていなかった。享年、46歳。

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

上野清士

Author:上野清士
店長の最新著書

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
カレンダー
05 | 2017/06 | 07
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -
FC2カウンター
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。