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顕彰「インディア・マリア」シリーズとその人   Maria Elenaという女優

顕彰「インディア・マリア」シリーズとその人
  マリア・エレナという女優
インディア マリア

 今年のオスカーはメキシコのアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥが「バードマン」で監督賞と作品賞、彼の出世作「アモーレス・ぺロス」以来のスタッフが脚本、撮影賞を受賞。メキシコのマスコミも連日のように報道しているが、そのなかで長年、メキシコ大衆に支持されてきたコメディ映画シリーズ「インディア・マリア」で体当たりでの演技で主役をつとめてきたマリア・エレナ・ベラスコが2月14日、胃がんの手術を受けていたことが約1週間過ぎたとことで報道された。

 ことし、74歳になるマリア・エレナだが、昨年には当たり役「インディア・マリア」シリーズの最新作「モクテスマの娘」に元気に主演していた。シリーズ10作目だった。
 同シリーズ最初の作品が1968年の「エル・バスタード」で、マリア・エレナ28歳で射止めた当たり役だった。以来、年季を重ねるごとにマリア不動のはまり役となり、マリア・エレナ、すなわちインディア・マリア役に同化して語られることになる。渥美清さんの“フーテンの寅さん”のようなものだ。日本では1作も公開されていないのが残念だ。
 しかし、ヒットシリーズ「インディア・マリア」は寅さん映画のようには新春とお盆映画というようには量産されなかった。制作されればそれなりの興行成績は見込まれたはずだが、70~80年代のメキシコ映画は低迷期であった。ごたぶんにもれず観客はテレビに奪われていた。そんな時代にメキシコ大衆映画の灯火をまもってきたのが男優でカンティンフラス、女優でマリア・エレナとなる。ともに下層社会の生きる民衆とともに生きるという姿勢を貫いた役で圧倒的な支持を得てきた。
 
 「インディア・マリア」のマリアは、メキシコ市の富裕家庭に住み込みで働くシルビエンタ、つまり「女中」、お手伝いさん、というような境遇ではくなく、雇い主の胸先三寸でいつでもクビにされかねない地位だ。マリアは、その下働きの視線でメキシコに現にある民族差別を描いていた。しかし、それはけっしてス トレートな批評というものではなく痛快に笑い飛ばす視線があった。
 現在も週末、たまの休暇も懐具合はいつもとぼしく遠出もできず、何時間もファミレスで粘ることもできないシルビエンタの女の子たちは、地下鉄ターミナル駅周辺に三々五々あつまり、同郷の友人たちとおしゃべりに花を咲かせて時間をやり過ごしている。週末は家族が水入らずで過ごす時間として、他人のシルビエタたちは家を追い出されるからだ。こうした光景は西欧諸都市でも見られる光景だ。イタリア・ローマの映画で有名なテルミナ駅(終着駅)周辺ではフィリピンから出稼ぎに来ているシルビエンタたちがたむろす光景を見かける。

 「インディア・マリア」はときにやんごとなき理由で変装し、先住民衣裳をいっとき脱ぐことはあっても、日常着はすべて先住民女性の衣裳で通す。マリア・エレナはコメディアンとしてしられるが、おそらくその姿勢は笑いを通して現実批評する、したたかな女優であったと思う。

 メキシコ大衆音楽のメッカ、ブランキータ劇場の踊り子として22歳で芸歴を出発させ52年もの間、働きつづけいま、休息の季節にきたのかも知れない。是非とも自愛の療養生活をして欲しいものだ。  

 *「マリア・エレナ」というと日本のラテン音楽ファンならロス・インディオス・タバハラスの名曲を思い出すようだが、是非、もうひとりのマリア・エレナを知って欲しい。余談だが、ついでタバハラスの「マリア・エレナ」についてデータを調べていたら、いまや日本でのみステージ活動をしているテケテケテッのザ・ベンチャーズが、高齢者向けなのだろう、タバハラスの「マリア・エレナ」の佳きリリカルな味をそのままに90年代から自分たちのレパートリーにしていることを知った。佳品である。

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