スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

花もつ女たち №39 レニ・リーフェンシュタール(映画監督・写真家*ドイツ 1902~2003)

花もつ女たち
 レニ・リーフェンシュタール(舞踏家・俳優・映画監督・写真家 ドイツ 1902~2003)
レニ

 20世紀の歴史にほぼ重なるように101歳という長寿を全うし、5つの人生を見事に生き抜いたレニ。その生涯は生前からすでに“神話”の世界に飛翔していた。

 たぐまれな美貌と健康、そして才気に恵まれたレニ。
 ダンサー、映画女優、映画監督、写真家、水中写真家という履歴が残っている。その職歴は10代から晩年へと流れる太い線だ。つまり最晩年に、「水中写真家」というプロフィールが加わるのだ! 驚異的な履歴ではないか! そう、生きざま、そのものがたぐい稀な〈表現〉活動であった。

 30代でナチ党大会の陶酔的記録映画『意志の勝利』、ナチ五輪といわれたベルリン大会の記録映画『オリンピア』を撮り生きて〈負〉の伝説となったレニ。『オリンピア』は古代オリンピックにおける肉体美の全的な蘇生でもあった。
 大戦後、必然、ナチとの関わりが問われた。レニ自身、ヒトラーに心酔した時期があったことを認めつつも、党員にならなかったことは実証されている。ふたつの映画はナチ党の緊密な共同作業であったことは確かだが、表現者としての主導権はあくまでレニのものだった。大戦期、世界中の映画人は多かれ少なかれ翼賛体制のなかで仕事をしていた。映画とは金の掛かるものだ。物資統制がきつくなればなるほど映画は権力の影響を受けやすい。黒澤明監督だって時局映画をとっていたし、戦後、「ゴジラ」映画で特撮技術を花咲かせる東宝映画のスタッフはハワイ・マレー沖海戦の特撮技術で基礎を作った。勝ち戦の側にいた映画人は、レニの仕事、才能にただ嫉妬したに過ぎない。ナチを断罪する拳で、レニを映画界から追放しただけだ。

 連合国の裁判でレニは無罪とはなったが、ユダヤ人社会はむろん、多くの大衆は放免しなかった。容赦しない批判を浴びせた。ドイツ映画界はレニの才能を唾棄した。いや、世界の映画界が彼女の才能を葬った。

 しかし、『オリンピア』を批判して、これを超えるオリンピック映画は今日まで生まれていない。そればかりか記録映画の先駆的成果として現在も世界各地で上映されている。
 『意志の勝利』もそうだが、『オリンピア』の完成度の高さに、世界の映像作家は呪縛されている。レニ自身、2本の映画への自負があった。私は市川昆監督の『東京オリンピック』をレニのそれに次ぐオリンピック映画の傑作だと思っている。しかし、その市川監督の映像にもレニの影響は顕著に、そして随所に登場する。
 レニは、天文学的な毀誉褒貶(きよほうへん)にさらされた。しかし、レニは一歩もたじろがなかった信念の女性としても一驚に値する。

 62歳、アフリカ・スーダンでヌバ族と出会う。親密な信頼関係を築いた後、ヌバの若者たちの求愛行為そのものまで撮った。71歳で編んだ写真集『ヌバ』は世界10カ国で出版された。日本では出版を機に、石岡暎子さんの素晴らしいレイアウトで写真展も開かれた。筆者とレニとの出合いはその写真展での衝撃から生まれた。2本の映画はその後に観た。

 レニに感性の老いはなかった。
 『ヌバ』の成功はレニに旺盛なエネルギーを注入したようだ。
 71歳であたらしい表現領域をもとめて海に潜る。71歳でスキューバ・ダイビングのライセンスを修得すると水中写真を撮り始め、やがて2冊目の写真集に昇華する。
 
 101歳、波瀾多き、そして、限りなく充実した生ある時間に終止符を打つ、そして“神話”の世界で永遠の生を享けた。

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

上野清士

Author:上野清士
店長の最新著書

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
カレンダー
08 | 2017/09 | 10
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
FC2カウンター
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。