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ナタリア・ラフォルカデ、チリへの想い

 メキシコポップス界の精鋭ナタリア・ラフォルカデ、故国チリへの想い
ナタリア

 ナタリア・ラフォルカデ、デビューアルバム『natalia lafourcade』が日本でも即、発売されたメキシコの若手女性歌手として記憶される。このデビュー・アルバムのライナーノーツは私が書いた。
 そのアルバムの日本発売から間もなく日本公演も実現させた。メキシコ・ポップスの俊英。デビュー当時(2003年)17歳だった少女ナタリアも今年、28歳。2年前に制作したアルバム『ムヘール・ディビーナ』は往年のボレロ歌手にして作詞作曲家であったアグスティン・ララに捧げられたアート性豊かな作品として評価され、ラテングラミー賞で確か2部門にノミネートされた。そのビデオ・クリップのなかで歌う姿には、女の成熟した色香のただよっていた。

 そのナタリアが4月に発売された音楽雑誌『YA』で父の国チリへの思い、私的な旅の思い出を語って注目された。
 ナタリアの父ガストンはチリに民主革命を起こした故アジェンデ大統領とその政権の熱烈な支持者であった。1973年9月11日、軍事クーデターが起きる2日前、偶然、チリを出ていたため弾圧、あるいは虐殺から逃れることができたチェンバ
奏者であった。
 「父はよくビオレッタ・パラ(チリの国民的歌手にして音楽学者)の歌を弾いてくれたの。わたしが歌を作るようになったとき、彼女の音楽に知らないうちに影響されていたことを知った」

 軍事独裁下のチリから多くの市民が国外脱出、メキシコも多くの政治亡命者を受け入れた。ビオレッタの息子アンヘル・パラなどは有名でメキシコ市内にチリ民族音楽を聴けるベーニャを開いた。

 ナタリアの父はメキシコにあって、「チリ人オルガン・チェンバロ奏者連盟」を組織し、チリに民主主義が復活することを願いながら演奏活動を続けていた。母ナタリアもピアニストだった。そんな音楽的環境に恵まれたナタリアがクラシックの道に
進まず、メキシコ市井の若者たちの感情を歌い込んだ作品でデビューした。最初から完成度が高かったのは両親から受け継いだ血であろうか。

  「昨年、78歳の父に付き添ってはじめてチリを旅し、父の兄弟、親族に逢い、民族料理を食べたり、自然を堪能した充実した旅だった」
 ナタリアはビオレッタの名作『グラシアス・ラ・ビダ』に托して自分自身を語る。もし、父がチリに留まっていたら、私自身の生もなかった、「人生よ、ありがとう」と。
 冷戦時代の中南米諸国の政治的な混乱によって生じた悲劇の残滓は、まだナタリア世代の体内に生きているということをあらためて認識した。  (2014年4月記)

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