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花もつ女たち №40  葛飾応為   浮世絵師 1791(?)~1858(?)

花もつ女たち №40
 葛飾応為   浮世絵師 1791(?)~1858(?)

 江戸浮世絵師には謎の才能が多い。
 歌舞伎役者の大首絵の傑作を短期間で制作し忽然と消えた写楽などはその象徴だ。
 幕府が庶民の奢侈(しゃし)、遊蕩(ゆうとう)を諌めるため、繰り返し「春画」を禁制にし、版元の資産を没収したり、両手を拘束して生活させる手鎖刑を強いたりしたために、作者の実体がわからない絵が大量に残された。「春画」は実入りのいい仕事だったから、絵師は名を伏せて手を染めた。

 葛飾北斎の三女・応為も謎の絵師だ。
 本名は「お栄」。雅号は、北斎が彼女を呼ぶとき「お~い」としか言わなかったので、それに漢字を充てて「応為」。人を喰った雅号だが、その才能は確かなものだ。
 誰に師事したという記録がないので、父・北斎の傍らで生活していたことで門前の小僧の習いで習得したものだろう。その父娘関係そのものが創作者たちを刺激し小説、映画に話題を提供している。親子関係またがそうなら創作態度もまた社会通念を逸脱した。北斎自ら「画狂人」と名乗ったが、「狂人」の娘もしたたかであった。

 どこまで事実か分らないが、応為は生活費稼ぎのために「春画」を描く。そのモデルをもとめて廓(くるわ)の寝間を覗く。
 大家・北斎の娘にしては、断片的な資料しか発掘されていない。数点の秀作を残して、なにがしかの理由で筆を断ち、忽然と歴史の霧の帳(とば)りのなかに溶け込んでしまった。

 『吉原格子先の図』『月下砧打美人図』『三曲合奏図』『夜桜美人図』、そして「春画」。応為の個性は、父の真似でない独創に進んだ。『吉原格子先の図』などは当時、最先端の洋風画の影響をうけた光の処理がうかがえる。幕末・明治初期の浮世絵師・小林清親に先行する光と影の巧みなコントラスを描き切っている。それは、父の先をいこうという覇気すら覚えるものだ。
 応為の足取りは長野の小布施までたどれる。その先は杳(よう)として行方知れない。作画の中断とともに足跡も消える。
 

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