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サッカーW杯と内戦

サッカーW杯と内戦
 
 サッカーW杯の本大会がはじまる頃、いつも思い出す光景がある。
 1990年イタリア大会。中米からコスタリカがはじめて本選にコマを進めた。初出場に関わらず予選リーグを2勝1敗、ブラジルに次ぐ勝点4を上げ決勝トーナメントに駆け上がった。中米諸国は熱狂してコスタリカに声援を送った。
 90年代前半の中米はグアテマラ、エルサルバドルは内戦。ニカラグアは長い内戦の末、和平化が実現したとはいえ経済的な貧窮に喘ぎ、ホンジュラスは周辺国の内戦の影響を受け混沌としていた。ひとりコスタリカはニカラグアからの難民、不法越境者が流入するという社会不安があったにせよ、もっとも穏やかな政情にあった。そのコスタリカが激戦区、北中米カリブ地域で勝ち抜き本戦にコマを進めた。地区の強豪メキシコが、Uー20W杯への参加選手の年齢詐称問題で、2年間の公式戦出場停止というペナルティを受けていた。そんな時の利もあったが、90年のコスタリカは確かに強かった。本戦での活躍がそれを証明していた。監督は、セルビア出身の名称ボラ・ミルティノビッチだった。中米諸国はおおいに盛り上がっていた。
 その時期、わたしはバックパッカーとしてグアテマラを基点にエルサルバドル、ホンジュラス、そしてメキシコへ至る悪路を乗り合いバスを継いで貧乏旅行をつづけていた。
 エルサルバドル東部、ホンジュラスへ至る国境の町サン・ミゲルで一夜を過ごす。
 内戦国では夜間の移動は戒厳令で禁止されていた。国境を前にして滞留を強いられた。その安宿のロビーで他の逗留者たちとコスタリカ戦の実況をテレビで観戦した。コスタリカが敗れた試合だった。
 たぶん、試合終了は中米時間で21時前後だったと思う。部屋に戻り水量の乏しい水シャワーを浴びていると突然、停電になった。漆黒の闇のなかで水も止り、全裸で内庭に面した回廊部に出ると全市が闇のなかに埋もれていた。
 そして、郊外から乾いた銃声が聞こえてきた。
 町外れにある政府軍基地が反政府武装組織ファラブンド・マルティ民族解放戦線(FMLN)の攻撃を受けているのだった。湿気を帯びた闇はその音でたちまち緊張した。
 乾いた銃声が休みなくつづき、しばらくして飛来した政府軍の武装ヘリが中空に停止し、紅い閃光を連射しはじめた。その薬莢がせわしくホテルの屋根を叩き、内庭で転がった。ヘリは漆黒の闇に沈んで攻撃をしていた。閃光の起点がヘリの位置だった。やがて基地周辺から銃声は途絶えた。
 翌朝、市内の学校の庭に若いゲリラたちの無惨な死体が並んだ。すでに中空には数羽の黒い禽獣が円を描いて舞っていた。
 ……旅はつづいた。
 行く先々の町でW杯のテレビ観戦で湧く食堂、ホテルを泊まり歩くうち、あの夜、戦闘に参加したゲリラ兵士、あるいは基地を守る政府軍兵士のことを思った。
 戦闘はW杯のコスタリカ戦が終結するのを待ってはじまったのだ。先制攻撃はむろんゲリラ側だ。決死の攻撃であったろう。迎え撃った政府軍も攻撃は予期したはずだ。それがエルサルバドルの夜であった。攻撃と迎撃にほとんど時差はなかった、と思う。
 ……とすれば、と思った。
 エルサルバドルもかつてW杯本選に出たことのあるサッカー国だ。ゲリラも政府軍兵士も場所こそ違え、どうようにコスタリカ戦をラジオかテレビで観戦していたのだと思う。戦死した者はその観戦の熱い興奮が最後の華やぎだったはずだ。敵も味方もどうようにコスタリカを応援していたのだ。内戦の残酷さはそんなところに象徴される。 (2010年6月記)
      

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