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ショパン 生誕200周年

 今年は“ピアノの詩人”フレデリック・ショパンの生誕200周年ということで年初から全国各地のコンサート・ホールはショパンのポロネーズ、マズルカ……虚飾のない美しいピュアな音色に満されている。
 半年を経って振り返れると、すでに二つの興味深い演奏会に接したことを知る。
 一つは昨年6月、アメリカのヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールで日本人として初優勝した視覚障害者の辻井伸行がスロヴァキア・フィルハーモニー管弦楽団と共演した「ピアノ協奏曲第一番」。ショパンの意思の剛さが通底しつつ、憂愁が北国の霧のように湧きあがっているくる詩情に酔った。辻井は2005年10月に行なわれた第15回ショパン国際ピアノコンクールですでに「ポーランド批評家賞」を受賞しているショパン弾きでもある。ショパン20歳のときに完成されていた協奏曲で、22歳の辻井の感性と共鳴し溶け合った清新な演奏だった。
 辻井のショパンを聴いた翌週には、ポーランド国立ワルシャワ・ショパン音楽院(現ショパン音大)に留学して以来、滞在20年におよぶ河合優子のピアノとワルシャワ・ファルハーモニー弦楽四重奏団との共演による「ピアノ協奏曲」第一、第二番を聴いた。オーケストラの総奏ではなく弦楽四重奏曲として変奏された、それ自体、聴きなれない形式だが、ショパンの時代には融通無碍に形式を替えながら演奏されていた。日本での試みは珍しい。そして、つくづく納得したのはどんな形式で演奏されてもショパンのピアニシズムはいささかも損なわれないということだ。むろんショパンを知り尽くした河合の名演によるところも大きい。
 
(この変奏曲で想い出しのだが、余談として是非、書いておきたい。この12月、また連日のようにベートーヴェンの第九が全国各地で夜毎、鳴り響くはずだ。この第九の変奏で秀逸なリストの2台のピアノのための「第九」がある。筆者はこれが好きで、かつてレコードでよく聴いていた。リストの天才と技巧はあの大作のスケールをそのままにピアノ2台で鳴り響かせることに成功している。このリストの編曲版はレコードがなかった時代のヨーロッパでは第九普及に大きな貢献をしたのだ。その役割を終えたとき、ひっそりと後景に退いたのだが、埃りをかぶせたくない名曲である。)

 筆者にとって今年前半のショパン演奏はそのふたつに代表されるが、これからも首都圏だけでショパンをプログラムとする演奏会は筆者の手元に届いた案内状だけで20近くある。そのなかには1985年、第11回ショパン・コンクールの優勝者スタニスラフ・ブーニンの演奏会や、第15回同コンクールの優勝者ラファウ・ブレハッチの三回の演奏会などがあり、ブーニンは日本でも熱狂的な固定ファンも多いのでソールドアウトになると思われる。
 また、メモリアル・イヤーの特徴だが、ショパンの愛人であったフランスの閨秀詩人ジョルジュ・サンドの手紙や詩、小説の朗読を、ショパンのピアノ曲とコラボレーションさせる企画もある。すでにフランスではCD化されている試みだ。
 ショパン・ファンにとって応接に暇がない年となった。今年ほど充実したショパンを聴ける機会はそうそうないと思われるので是非、これはと思うコンサートに足を運んで戴きたいと思う。むろん、ショパン作品の新作CDの発表や、関係書の出版も相次いでいる。
 ショパンは旅の人であった。39年の短い生涯に馬車と船の移動だけで約二万五千キロに及ぶ旅を繰り返している。母国をロシア帝国に奪われた亡命音楽家ショパンにとって、生きるために演奏旅行をつづけピアン講師として働き、意に染まない社交界に出入りしながら、あれだけの名曲を書きつづけた。最晩年の2年間は健康を害して一曲も書けなかった。絶筆は「マズルカ」。異郷のパリで書いたピアノ曲も故国の民族舞踊マズールへの郷愁が源泉だった。
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 *資料・情報提供=コンサート・イマジン (2010年、猛暑の某日)

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