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花もつ女たち №43  タマラ・ド・レンピッカ ポーランド*画家

花もつ女たち
 タマラ・ド・レンピッカ(ポーランド*画家 1898~1980)レンピカ


 やがて、ナチドイツによって破壊されるポーランドの都ワルシャワ。タマラは大国の狭間のなかで揺れ動く憂愁の都のなかで、芳香だけで嗅ぎ取るように奔放な少女時代を送った。
 裕福な家に生まれたタマラの芸術的な感性は時代と、私生活の豪奢に育まれただろう。そして、タマラ自身、贅沢に貪欲だったことを否定しなかったし、それは恋愛においても我執を燃やすことになる。
 
 タマラは天性の美貌にも恵まれていたし、それを仕事に活かすこともためらわなかった。天はタマラに二物を与えた。
 20世紀前半の革新的な美術の潮流を時代の大気として積極的に取り入れながらも、〈運動〉的な野心はなく、ましてや思想に奉じて赤貧し洗うが如しの生活などは無縁だった。
 19世紀の古典的伝統派アングルの均整のとれた女体を借用しつつ、キュビズムの手法で解析すれば「新しい」絵となり、わかりやすい。アングルの美は自分自身のリアリティーでもあった。

 同時代のコレクターは絶えず前衛より数歩下がった穏和な作品に眼がいく。ある程度の評価が出ているし、まだ新しい芸術として受け止められている鮮度が魅力だ。そして、先見の眼、という充足感も満足させたいスノビズムをもっている。
 タマラの絵には、そういう俗臭にこたえるアルチザンの旨さがある。したたかな商才は、言い値で売りさばくほどだった。類(たぐ)い稀(ま)れな美貌は絵の実勢価格をはるかに上回る利益として彼女の懐をあたためた。

 タマラの名を一躍、社交界にも響かせたのは、“オートポートレート”という異名をもつ絵『緑色のブガッティに乗るタマラ』(1925)という27歳の自画像だ。
 それはドイツのシックな婦人雑誌『ダーメ』の表紙を飾り、〈現代〉女性の象徴的な像として喧伝(けんでん)された。

 やがてナチズムの台頭に追われ米国に移住、晩年はメキシコの常夏の地で過ごした。
 タマラはエトランゼであった。
 絵筆、そして自身の美貌をパスポートにして疾風怒涛の20世紀前半の混沌を情熱的に生き切った。それは見事な生き方として賞賛したい。しかし、彼女の絵はやがて時代の傍証資料として埋もれていくだろう。

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