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キューバ=コスタリカ国交問題

 コスタリカとキューバの文化交流

 昨年12月、キューバと米国間の半世紀以上に及ぶ国交断絶状態に終始符が打たれた。正確にいえば、国交回復にともなう事前作業が継続中、となる。この流れは些少の軋轢(あつれき)があったとしても途絶するものではない。
 この両国間の急接近によって、これまで親米派としてキューバと国交断絶状態にあったラテンアメリカ諸国も、ホワイトハウスの傘のなかでハバナに公館を開設してゆくだろう。
 以下の拙文は3年前に書いたものだが、親米国家、中米コスタリカにこんな挿話があったことをあらためて紹介しておきたいと思う。

   *   *   *

 意外に思われるかも知れないが中米コスタリカとキューバには正式な外交関係はない。冷戦時代の負の遺産がいまだ生きていて途絶している。
 両国の関係が途切れたのは、キューバに革命政権が樹立した後、米国は革命キューバを米州機構(OAS)から除名した。その際、メキシコを除く南北アメリカ諸国も米国の圧力でキューバとの外交関係を断った。ソ連邦が崩壊し、冷戦の影響下で深刻な内戦を繰り返した中米諸国に平和が訪れても、コスタリカにはキューバに対して批判的な保守政権がつづいて関係改善が遅れた。日本でもよくしられコスタリカの政治家にオスカル・アリアスがいる。中米諸国の和平化に貢献したことでノーベル平和賞を授与(1987年)された政治家だが、アリアス政権時代にもキューバは敵国とみなしていた。ちなみにアリアス氏はラテンアメリカの元首としてはじめてのノーベル賞受賞者である。当時、コスタリカの南の隣国パナマはキューバとの国交を早くから樹立、定期便が飛んでいた。パナマ運河を米国から返還させた卓抜な外交手腕を発揮した故オマール・トリホス将軍によって国交回復が実現していた。
 しかし、冷戦後、外交努力は双方とも力を入れていて、その努力の成果とでもいうでき文化交流事業が9月14日、コスタリカ独立記念日にハバナで実現した。
 コスタリカ、キューバ双方の文化省の協力で実現したもので、コスタリカ民俗舞踏団がハバナを訪れて公演を行なった。文化交流から外交関係の復活をしようという試みである。その舞踏団公演を前にキューバ側でも、コスタリカとは古くから友好関係があったことを歴史的な事実に基づいて解こうと、同国ではホセ・マルティとならぶ歴史的英雄である“青銅のタイタン”ことアントニオ・マセオ将軍が中米の独立を目指して戦った史実を取り上げ、「1891年から95年までコスタリカのグアナカステ州に滞在し、小部隊を組織してスペイン植民当局に戦いを挑んでいた」と強調。両国は、「独立」「解放」という共通目標をもって連帯していたことを史実を明かした。
アントニオ・マセオ

 友好文化事業にはマセオ将軍が滞在したこともあるニコヤ州の小学校の児童たちもハバナに招かれた他、コスタリカの音楽家、民芸創作家などアーティスト40人も参加、コンサートなども行なわれた。(2012年9月記)

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