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花もつ女たち №48 清原雪信(画家 1643~1682)

清原雪信 (画家 1643~1682)

 江戸時代を生きた女性画家のなかにあって、雪信の作品は例外的に数多く今日まで保存のよい状態で伝わっている。狩野派一門の絵師であった。
雪信「花鳥図」東博 「花鳥図」東京国立博物館所蔵

 狩野探幽によって創始された江戸狩野派は、徳川幕府の御用絵師の地位を獲得すると、その権勢をえて全国各藩に絵師を派遣し巨大な組織を作り上げた。典型的な男社会であったが、そうした絵師の妻、娘のなかから見よう見まねで絵筆をもつ者がでてくるのは自然の成り行きだし、どの世界にも門前の小僧はいるものだ。雪信もまたそういう娘だった。

 江戸期300年の平安は狩野派人名録に数百人が記されることになるが、女性の名は少ないし、伝記的な挿話が伝えられる才能となれば雪信をふくめて3~4人を数えるのみだ。
 家元制度にも似た世襲制のなかで、伝統的な規矩(きく)を守っていればお家安泰といったぬるま湯の安逸が生まれた。絵は類型化し、そこそこの技量の習得で描ける作品ばかりが蓄積されていった。
 雪信の父・久隅守景は意識的にそうした規矩を取り払い、狩野派にあたらしい滋養を取り込もうとした才覚があった。水墨画にもあざやかな才能をみせた父の後ろ姿をみて育った雪信だから、女だてらに、といった声を無視して貪欲に学ぶことができたのだろうし、父もまた娘に手ほどきをしただろう。

 雪信が遺した絵は多彩だ。屏風絵のような大作もあるし、大和絵の伝統もこなした色彩感にあふれた華麗な絵も遺している。描くことになんらためらいもみせずにのびのびと絵筆を執っているのだ。そうしたことができたのも家内の理解があったからだ。
 しかし、雪信の美質は「鶉(うずら)図」のようなデリケートな筆触で描かれた静謐な雰囲気の絵に表れているようだ。東京・上野の国立博物館には一対の「花鳥図」が所蔵されている。

 結婚後、京都に活動の場を移し、夫の病いなどもあり、文字通り絵筆で家計を支える職業的な絵師として知られるようになる。雪信の作品が多く遺された理由だ。そして、それらの絵は京・大阪、関西の文人たちに尊重されたらしい。井原西鶴は『好色一代男』のなかで、雪信が遊女の白繻子に、秋の野を描いたという挿話をまことしやかに記している。

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