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花もつ女たち №49 ジョセフィン・ベーガー 

ジョセフィン・ベーカー
(米国・フランス。歌手・舞踏家 1906~1975)
ジョセフィン

 作家へミグウェイがジョセフィンを指して、「もっともセンセーショナルな女」と語った。パリで彼女のステージに接した作家の前に
「褐色の女神」と現われた。
 米国南部に、ユダヤ系スペイン人の流浪の音楽家を父に、アフリカ系米国人の洗濯婦を母にして生まれた。父の顔はしらない私生児として極貧のなかで育った。後年、彼女が人種差別撤廃運動に関わる背景だ。
 
16歳から踊り子としてキャリアを積み上げ1925年、19歳でパリに「レビュー・ネ グロ(黒いレビュー)」でデビューすると、たちまち時代の寵児となった。長い手足、よく動く活発で雄弁な瞳、全裸同様のコスチュームで“時代”を悩殺したといえようか。
 第一次大戦と第二次大戦の端境期のパリ。世界中から個性的な才能が蜜にあつまる蜂のように群がった。忍び寄る大戦の影薄くしようと誰もが強い照明を与えていた時代。その照明の中心でジョセフィンは野生的な肢体を惜しげもなく晒した。
 この頃、パリで録音されたベーガーの歌はほとんどデジカル化され今日では容易に聴けるが、時代の大気というのはすこぶる濃厚なものでベーガーの歌、そして背景の音楽に“時代”が刻まれている。

 旧大陸で成功した最初のアフロ系米国人女性だったが、母国に帰れば、ただの黒人でしかない。ベーガーは当時の一時帰国の際に受けた、二ガーとしての劣等種族あつかいに憤怒する。そんな抜きがたい人種差別の風土に嫌気をさしフランス国籍を習得することになる。大戦下では自由フランス軍の秘密情報活動に携わった。むろん、無償の危険をともなう。“愛国”的行為だ。戦後、ドゴール時代に同国の最高勲章が授与されている。
 
 ふたりの日本人男 性の養母でもあった。敗戦直後の日本から戦災孤児を養子に迎え育てた。世界中から13人の孤児をあつめて運営した施設「虹の部族」はベーガーの夢の実現ではあったが、理想とは違った。その物語はベーガー晩年のもう一遍のドラマとして紐解かれてよう。  

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