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劇団文化座公演『廃墟』 三好十郎原作

三好十郎作*劇団文化座公演『廃墟』
  演出・鵜山仁
劇団文化座 廃墟

 三好十郎の名が演劇の枠を超えて光輝に満ちていたのは戦後20年ほどの歳月であったと思う。以後、文化座のように批評精神を失わず、商業主義に陥らず活動をしてきた表現集団が、三好の戯曲を繰り返し上演することによって、その息吹を再生してきた。
 私のように団塊の世代の最期に属する者にとっての三好とは、そうした演劇に接することによって、その舞台の感銘を触媒として彼の旺盛な活動の一端を知ることになった。
 おそらく、私が三好の存在を巨(おお)きなものとして意識するようになるのは民藝のヒット作であった『炎の人 ゴッホ』の舞台ではなかっただろうか? 三好がそれを書いたのが1951年であり、直後に民藝が滝沢修の主演で初演している。その後、幾たびも繰り返し上演しているので、それのどれかを観ているはずだ。
 
 以来、私自身がながく海外に居住したことで日本の演劇は疎遠なものになってしまった。
 今回、三好が敗戦直後、焦土の東京に立って構想したと思われる『廃墟』に接して、私のなかで三好十郎の名が否応なく蘇生した。
 『廃墟』は1946年頃の東京のどこか。都心からそう離れていない場所であることは台詞から知れる。
 焼け残った廃屋のような家、家の床には防空壕が掘られていた。いま、その防空壕に土を埋め戻している、という敗戦直後の混乱。その家に身を寄せ合う家族、縁者たちが織り成す晩餐というにはあまりにも貧しい食卓の席での物語だ。
 病身の初老の大学教授、敗戦で釈放されたマルキストの長男、特攻隊の生き残りでいまはヤクザ稼業で自暴自棄となっている次男、空襲で顔に醜い火傷を追った長女、これに長男の釈放をみて家を飛び出してきた人妻、戦前アメリカに暮らしていたらしい男、そして次男の愛人であるらしいダンスホール務めの女、加えて戦争のためか言葉をうしなった乞食の闖入(ちんにゅう)・・・あの時代だから、境遇を超えて一つ屋根の下で暮らしていた、暮らすしかなかった。そういう〈家〉というのは当時の日本には無数に存在しただろう。

 慢性的な飢餓状況のなかでは自尊心すら剥奪される。しかし、発言の自由はあった。三好は、そうした敗戦直後の市井のむき出しの姿、東京裁判が進行していくなかで冷静に焦土の精神風土を直視していた。複眼的に。
 廃墟は再生の出発点だ。建物の再建だけを意味しない。荒廃した日本を再生するために精神風土も鍛えよ、と三好は祈願していた。
 焦土に放り出された知性に虚飾はいらない、自分を晒け出し議論し尽くし未来の日本のために、という想い烈しさが台詞に横溢する。そこには思想の優位性など存在しない。正義の価値観すら右往左往している。マルキストの長男の言葉がむなしい。正義の価値観すらゆらいでいた時代だ。特攻隊崩れの次男の言葉が重い。
 「あんたたちが餓えずになんとか生きているには誰のおかげだ。あんたちが蔑むやくざ稼業で稼ぐ俺の金だろう。理想でなにが喰えるんだ」
 戦後数十年、いや、いまでも時どき描かれることがあるが、映画や小説中にこの「特攻隊崩れ」という若者がよく登場し、ひとつの戦後光景が象徴されるわけだが、この三好の芝居をみていて、「特攻隊崩れ」の原型がここにあったのでは、と思うようになった。坂口安吾の「堕落論」はこうした精神風土を背景に出てくるわけだ。
 *5月29日、東京・駒込、劇団文化座アトリエ公演。

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