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花もつ女たち №50 トミエ・オオタケ(日本・ブラジル*造形作家*1913~2015)

花もつ女たち
 トミエ・オオタケ(日本・ブラジル*造形作家*1913~2015)
百歳を迎えた日のオオタケ

ブラジルに約150万、世界最大の日系人社会がある。それでも総人口のわずか1%に過ぎない。しかし、たった1%の民族的ポテンシャルはすこぶる高い。それをいちいち書くわけにはいかないのでひとりオオタケの活動に象徴させよう。

 日本名は、大竹富江、京都に生まれ23歳でブラジルに渡った。
 オオタケの表現活動の出発は絵画であった。それも40歳を迎えてからで、それまでは主婦業に専念していたといわれる。しかし、いったん解き放された創造力はまたたくまに拡張、肥大した。

 オオタケの手になる絵画も彫刻、環境造形すべて抽象表現である。たとえば80歳代に取り組んだシリーズ「無題」は100×100cmの正方形画面の連作だが、宇宙の生成の相貌を象徴させたような絵画で、群青系の色相だけで、赤紫系だけ、というふうに意識的な操作によって一個のエネルギーを拡散するような作品だ。この連作を手がける以前にオオタケは現代ブラジル美術を代表する作家として世界主要都市で紹介された。

 オオタケは100歳まで現役だった。晩年とか老成といった、老いを比喩する言葉があるがオオタケには無用だった。
 「無題」シリーズと同時に、巨大モニュメントに取り組んでいた。2008年、日本移民100周年にむけたプロジェクトだ。その記念年には3点の巨大なモニュメントを完成させた。その1点は総重量20トンという彫像だ。
 サン・パウロ市中心部パウリスタ通りに建つ「記念碑」は94歳の作品。赤の鉄パイプは、ブラジルの豊かな地力そのものを形象化しているようだ。
 サン・パウロ市内だけでオオタケのオブジェは25個も設置されている。同市の幹線道路「5月23日通」に巨大な4つの波形モニュメントがある。オオタケによれば、「この地に定住することを決めた日本人の最初の移民から4世代目が生まれていることを象徴する」ようだ。

 ブラジルには数多くの日系人画家、彫刻家、造形作家が活動している。筆者自身の体験でいえば、メキシコ市に在住していた1990年にも日系ブラジル人造形作家の作品を紹介するイベントが小規模ながら持続していたことをしっている。メキシコもまた日系人作家の多い地だ。
 おそらく日本でよくしられているのは“ブラジルのピカソ”とも形容されたこともあるマナブ間部(1924~97)だろう。日本でも2度、大きな個展をひらき、そのひとつは回顧展とよべるものだった。オオタケの大規模な紹介はまだない。彼女の代表作が移動の不可能な巨大オブジェであってみれば仕方がない。しかし、その仕事は日本でもしられるべきだろう。間部より年長者でありながら、その表現はどうみてもオオタケのほうが新しく実験性にも富んでいた。
 今年2月、101歳で逝去した際、ジウマ同国大統領は弔辞を発表した。「百余歳の生涯をいきるなかで本質的にブラジル人となりました」。

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