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ニカラグア映画考

 前回、ニカラグアのカリブ沿岸地帯に住むガリフナ族の老人が出自を求めて隣国ホンジュラスのカリブ沿岸地帯を旅する一種のロードムービー『ルバラウン』を紹介した。
 東京在住の日本語の達者なニカラグア人女性が丁寧な字幕を入れてくれたドキュメントだった。けれど、この映画がDVD化され市場に出ることは無論、一般上映される機会もありえないので紹介を試みた。
 ついでに、いわゆるコアな映画ファン、あるいはラテンアメリカの文化にアンテナを張る人たちがどれほどニカラグアを映画を通して理解しているのだろうとネットで検索するとまったくお寒い限りだった。まぁ、交流の希薄な現状からすれば仕方がないが・・・ネットの冒頭に出てくるニカラグア在住の方が書かれた報告で、ケン・ローチ監督の『カルラの歌』が、ニカラグアを描いた唯一の作品ではないか、という一語いは正直、あきれてしまった。
 以下、かつて、ここでメモランダムに取りあげたニカラグア素材の劇映画の紹介文を採録しつつすこし追補してみた。

▽『アンダー・ファイアー』 『カルラの歌』『アルシノとコンドル』、そして、『ウォーカー』
 ニカラグアではじめて制作された本格的な劇映画は『アルシノとコンドル』であっただろう。ニカラグア・サンディニスタ政権が全面的に肩入れした映画ということで、最初から立場が明確で、教条的ではないが反米色の濃いドラマだった。監督は当時、母国チリのピノチェット独裁政権から亡命していたミゲル・リッテン。当時、サンディ二スタ政権を支持していたキューバでサウンドトラックが制作されたと思う。前のめりな誠実感が先行する映画だった。

 コロンビアの作家ガルシア=マルケスの友人でもあったリッテン監督だが、その作風は魔術的リアリズムには遠い作劇。監督は、芸術は現実的な政治(かれは民衆というのかも知れないが)に従属するという立場らしく、確か、どこかの国際映画祭の審査員として作品選出した際、芸術性をめぐって日本の某映画監督と論戦になったことがある。その日本人監督はとても穏やかな人だったが、その人をして、反発を起こさせるほどリッテン監督の思想性は亡命者として生きる強さを反映したものかも知れないが、柔軟性とは無縁だったらしい。

 むしろ政治性ということでは米国ハリウッドの資本が若手の才能を見出すために低予算での映画を製作させたB級映画に、サンディニスタ革命政権の打倒をめざし、隣国ホンジュラスから攻め込む米軍支援のコントラ軍の一兵士となったヒスパニック米国人兵士の“回心”を描いた映画『ラティーノ』(バスケル・ウェクスラー監督/1985)のほうがわかり易く説得力があった。しかし、日本のづクリーンでは上演されずVHSで販売されただけで注目されなかった。

 ケン・ローチ監督は、英国映画の“良心”という評価がある。それは主にアイルランド問題を主題にした数作の作品に対する評価として生じたものだが、『カルラの歌』もまた虐げられた者の立場から撮られた作品だった。弱者の視点から政治悪を眺めれば、たいていの映画は“良心”的にみえてくるものだ。そういう安易さを感じる作品だったが、良心的な映画であることには間違いなかった。 あまり評価されていないニカラグア内戦期を描いた映画に『アンダーファイアー』があった。ハリウッド映画らしい善意にあふれた映画だが、敵役の配分も滞りなく説得力にみちた大衆性ももった作品だった。
 当時、人気のあったニック・ノルティを報道写真家として主役置き、ジーン・ハックマン、そして、フランスの名優ジャン=ルイ・トランティニアン、さらに当時、上昇期にあったエド・ハリスが独裁政権下の雇われ軍人という“悪役”を好演していた。演技陣だけみても相当な資金を投入した作品だ。日本でも単館公開の枠を超えて各地で公開されている。映画ファンのニカラグア理解は『アンダーファイアー』からはじまったといえるだろう。
 1983年の映画だから、私自身が後年、幾度かニカラグアへ取材で赴くことなどまったく想定していない時期に観たわけだ。
 ニカラグアの自然、町の佇まいとは、このようなものであるかと映画で感得していたわけだが、実際に現地に訪れてみれば、ずいぶんと様相が違うのだった。映画はメキシコで撮影されていた。当時も現在も、中米、キューバやドミニカの話でもメキシコで撮影される機会が多い。日本でも評判になったオリバー・ストーン監督のエルサルバドル内戦の悲劇を描いた『サルバドール』もそうだった。その点、ケン・ローチ監督は撮影条件の劣悪さを承知の上でニカラグア現地で撮影しているのは、このリアリスト監督のこだわりといえそうだ。それは評価する。

 メキシコで撮影されることが多いのはラテンアメリカの映画大国であり俳優も技術陣も充実していることと、その自然の多様さが中米らしく撮影できるからだ。かつてハリウッド映画の「ターザン」もメキシコ市郊外で撮影されていた時代があった。

 さて本作『アンダーファイアー』は、サンディスタ革命が成立する直前、内戦下のニカラグア入りした報道写真家が、民衆の英雄となっているゲリラの指導者を求め、奥地へ旅をするという縦筋の前後左右に、内戦下の諸相を描いたものだ。ラジオ・キャスター(ジョアンナ・キャシディ)との恋愛挿話も挟みこみながら飽きさせない。
 当時のソモサ軍事独裁政権を米国は支援していたわけだが、本作はゲリラ側に立った視点から撮られている。

 ニカラグアという国は中米にあって、パナマと並ぶ野球国で、少年たちはサッカーより野球に夢中になっている国だ。そんな大リーガーを夢見る投手志望の若者が内戦下にあっては、手榴弾を遠投するゲリラ兵士となっていること、そして、それが禍して戦死するといった挿話なども適宜配され、ニカラグアという国へのリサーチはそれなりに消化されている。
 音楽は誰が書いたか知らないが、ケーナ、サンポージャを巧み使っているのが印象に残った。128分。

 後年、名優としての評価を勝ち得た時代になってからエド・ハリスはニカラグアを武力制圧し、ニカラグアの大統領に就任した米国人弁護士ウイリアム・ウォーカーを演じている。映画『ウォーカー』がそれ。ニカラグアを描いた映画のなかでは現在の最高傑作ではないかと思う。
 ウォーカーは『風と共に去りぬ』の最終巻に登場する。おそらく、スカーレット・オハラの物語として読む日本人読者のほとんどがウォーカーの挿話を呼び飛ばすか、歴史上の人物と認識しないまま読了してしまうのだろう。
 マーガレット・ミチェルの思想性、南部州にとって奴隷制度は必要なものであるはずだった、という立場は、そのウォーカー観に反映されていた。
 『風と共に~』の訳者は、日本人読者の理解を助けるべく巻末に「注釈」ページを設けているが、翻訳初版から何十年経っているのかしらないが、ウォーカーに関する評価は別として、死去の地など歴史的に明白な事実を間違えたまま現在も訂正されていないことで、いかにニカラグアが日本人にとって縁の薄い国であるかが良くわかる。
 映画『ウォーカー』の監督はアレックス・コックス。スペイン語も話す米国人監督で俳優だ。メキシコでもアート性の濃い映画に出演している個性的な才能だ。コックス監督は映画『ウォーカー』の歴史劇を、20世紀後半の米国の対中米政策へ敷衍しつつ批判的に描いていた。その能動的な批評はベトナム戦争、あるいは湾岸戦争以降の世界にも引用できるものだ。名優エド・ハリスのウォーカーの狂気を快演した。それはラテン諸国でアングロサクソンへの侮蔑的呼称となる「グリンゴ」の悪辣そのものを体現していた。 ケン・ローチの感傷的なアプローチなど冷戦下の中米では甘い。

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