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マケドニア映画『ビフォア・ザ・レイン』ミルチョ・マンチェフスキ監督

映画『ビフォア・ザ・レイン』ミルチョ・マンチェフスキ監督(1994)
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 旧ユーゴスラビア連邦の解体とほぼ同時に起きた民族紛争は、戦後、チトー大統領の下での「平和」と「繁栄」を自ら根こそぎ掘り返すような自虐的とも思える惨状を呈した。
 民族浄化の名の下に行なわれた大量虐殺の現実に、昨日まで“ユーゴ人”として民族協和を標榜してきたことがまるでウソ、偽善だったと思わせるものだった。最近も国際欄の片隅にコソボの現職国会議員がスロヴァキアの空港で「人権犯罪」の容疑で拘束されたり、ボスニア=ヘルツェゴヴィナで起きたムスリム系住民の大量虐殺事件の審議が国連でぶりかえすなど、まだまだ解決されていない「ユーゴ問題」があることをしる。

 ユーゴ紛争の激化は、無数の悲劇の断片を拾い集めるように多くの映画が生まれた。本作もその一編である。
 日本でこれまで公開され、DVD化された映画はほぼ全作、観ていると思う。労作、秀作、佳作と評価しうる作品が多かったことはベトナム戦争映画の比率より格段に高いと思う。しかし、民族対立の根の深さ、血涙を滲ませる悲劇を描きながら本作のような映像美をもった作品はなかった。芸術、というなら本作は突き抜けた格調の高さがあると思った。

 マケドニアの首都スコピエ出身のミルチョ・マンチェフスキ監督の初の長編劇映画ということだが完成度の高さは処女作の域を突き抜けたレベル。1994年、35歳のときの作品ということでは旧ユーゴスラビア諸国での内戦が終息していない時期の制作ということで、そうしたキナ臭さが反映しているわけだが、映像は美しく格調すら感じさせる。
 おそらくスコピエを出た後、米国に渡り、そこでCMや音楽のビデオクリップを制作するうちに母国の現状を憂慮し、マケドニア人として、あるいは民族が融和していた旧ユーゴ時代の懐旧もこめて監督自身のマケドニア観、さらに民族浄化、内戦の愚を批判したのだろう。リサーチもよく行なわれている。民兵たちが手にする不ぞろいの銃器はみなセコハンだ。チェコあたりでライセンス生産したと思われるAK-45や、イスラエルが対ゲリラ戦用に改良したウジーなどが出てくる。中米紛争が終局を迎えた直後からパナマ経由でニカラグアやエルサルバドルなどで不用になった銃器がバルカンを目指したことは知られている。バルカンの紛争では銃器の博覧会の様相を呈したわけだが、その縮図として監督は農民民兵にそれらを手にさせている。

 旧ユーゴ解体後、各共和国が独立を目指した際、各地で凄惨な内戦が激化したが、マケドニアはその戦火から免れた国として、独自の“平和”を標榜していた。しかし、映画では正教会系マケドニア人と、国内に3割程度、居住するモスレム系アルバニア人との対立があったことを描き出している。ボスニアやコソボなどの紛争の影でマケドニアの民族対立は目立たなかったというだけの話だろう。

 映画による批判はいくら巧妙に描きはしても政治にダイレクトには結びつきはしない。しかし、描かずにいられないという静かな熱気が節度よく抑制された映像のなかで悲劇が語られてゆく。それはうわ面の批判でなくじわじわと胸に染みこんでゆくような説得力があった。処女作にしてヴェネツィア国際映画祭金獅子賞など世界の映画祭で賞賛されたのはよく納得できる。

 3つのパートから成立し、1「言葉」、2「顔」、3「写真」となっていて冒頭の1の挿話は、3の終話とつながりメビウスの輪となって映画は永遠に輪廻転生を繰り返すように仕掛けられている。ここで筋書きなどは書かない。話の建て筋はこれまで繰り返されて描かれてきた旧ユーゴの民族間憎悪を基底にしているからだし、監督の主張はそこにないからだ。本作への批評も語りやすい“悲劇”や“政治”通して語っているが、意図されているのはもっと象徴主義的なものだ。

 草原に囲まれたマケドニア正教会の修道院の美しい光景、その修道僧らの生活を映し出す冒頭の映像はほんとうに美しい。
 昨年、訪れたクロアチアもボスニアも自然はほんとうに美しい。ハンドルを握っての長距離走の旅だった。その旅行で当初、スコピエ入りも予定していたのだが、時間の都合がつかなかった。私個人の残された宿題だ。
 
 監督は祖国の自然美を愛でるように写しながら民族対立の根の深さを描きだす。その根を堀り、根こそぎ除去するのはバルカンの地では不可能なのだという諦観が監督にはまたあるように思われる。それが映画にエンドを設けないメビウスの輪のように捩れながら面の交わらない手法を選択したように思われる。秀作である。 (そういえば突然、思い出したが、マケドニアで『グッバイ20世紀』(1999年/アレクサンドル・ポポフスキ監督)という狂喜乱舞のカルト的駄作が撮られている。本作と対極にあるような映画だが、バルカンの“火種”の底に人間心性の狂気が存在しているのだ、というメッセージを覚えた。ロマンチックな狂気を肯定したところに芸術は飛躍する。

*旧ユーゴ諸国の内戦を描いた映画については、「ある愛へと続く旅」(2012)を紹介したブログにまとめて掲載しているので是非、参照を。

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