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花もつ女たち №54 ケーテ・コルヴィッツ (版画家*ドイツ 1867-1945)

花もつ女たち №54 ケーテ・コルヴィッツ (版画家*ドイツ 1867-1945)
ケーテ・コルヴィッツ

 文学全集に収録される作家が時代によって変わるように、美術全集もまた収録される画家や彫刻家も変わる。
 ケーテ・コルヴィッツが選集とか全集に収録されなくて久しい。といってコルヴィッツの個性が、画業の価値が減退したわけではない。いわゆる商業的な人気が減少したに過ぎない。コルヴィッツの場合、現在の日本の社会状況が彼女の社会参与の直裁さを好まないということだろう。
 コルヴィッツ作品がよく紹介されていた時代には、たとえば筆者の関心領域でいえばメキシコのフリーダ・カーロ、フランスの彫刻家カミーユ・クローデルは一般的な関心はほとんどなかった。

 本題に入ろう。
 コルヴィッツは強靭な精神の持ち主だが母性をしなやかな鋼の芯として生きた画家だ。
 コルヴィッツが描く真実の世界を静止しようするとき、居住まいを正さなければ・・・と、そんな居心地の悪さも正直、覚える。畏敬はすれど、壁に複製画などを掲示することはためらわれる。

 コルヴィッツの生涯はドイツ帝国、ヴァイマル共和国、そしてナチ・ドイツという3代の波乱のもとで送られてきた。
 生地ケーニヒスベルクも時代に翻弄され現在はロシア領カリーニングラードになった。亡くなったのは連合軍の無差別爆撃で壊滅した古都ドレスデンの近郊の町だった。
 コツヴィッツ自身、戦争で息子と孫を奪われている。黒単色(彼女の大半の作品が黒単色)で連作された「戦争」シリーズのなかに『寡婦』という慟哭の象徴のような作品がある。夫を失った妻の 悲痛がねじれるように迫ってくる。そこに人間ケーテの悲しみをみるのは容易だろう。
 
 コルヴィッツの絵は生前からイデオロギーに引用されていた。コルヴィッツ自身、それは意識的に合目化していた。
 魯迅は中国であたらしい民衆表現活動の“教科書”としての木刻画の創作の参考としてコルヴィッツの作品を提示した。あるいはエンゲルスの『ドイツ農民戦争』の挿絵となって流布することもあった。そんなふうに流布していくごとに、コルヴィッツの預かり知らないところでご都合主義的な引用の攻撃にあった。いわゆる社会参与型の芸術家の宿命だろう。ナチすら彼女の知名度に寄りかか って教宣の道具として活用したことすらある。むろん、コルヴィッツの意思に反して。

 そうした政治のステージの安易な道具とならないよう、人間表現の真実を描いたコルヴィッツを真率に評価する時代がきているだろう。コルヴィッツ芸術はあまりにも文学的に語られ過ぎた。そうしたイデオロギーの桎梏(しっこく)からそうそろ解き放ってやる時代にきていると思う。

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