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ニカラグア カルロス・メヒア・ゴドイ、サンディニスタ革命を祝う

カルロス・メヒア・ゴドイ、サンディニスタ革命を祝う

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 中米ニカラグアの国民的歌手カルロス・メヒア・ゴドイがサンディニスタ革命の成功を祝うコンサートを革命樹立の記念日7月19日をまたいで数回開いた。コンサートには、メキシコ亡命時代からの同志ともいえる彼の演奏仲間ロス・デ・パラカグィーナも参加した。
 
 現在、ニカラグアは第二次ダニエル・オルテガ大統領のサンディニスタ政権下にあるが、革命樹立の記念日は同大統領の第1期目として就任することになった革命樹立の日、1979年の7月19日である。
 1930年代、親米派の政権下にあって事実上、米国の軍事支配下にあったニカラグアの主権を取り戻すべく、救国の英雄アウグスト・セサル・サンディーノ将軍が手勢を率いて武装蜂起、巧みな用兵で米国海兵隊に戦いを臨み撤退に追い込んだ。
 しかし、そのサンディーノ将軍を、米国の後ろ盾をえて暗殺したのが当時、国家警備隊長だったアナスタシオ・ソモサ・ガルシアで、その後、大統領職を簒奪した後、長男、次男とつづくソモサ一族支配の基盤を作る。ニカラグアはこのソモサ一族に私物化されていった。これに抗した武装蜂起したのが救国の英雄の名を戴いた他サンディニスタ民族解放戦線(FSLN)だった。

 武装蜂起当時、ソモサ独裁下では自由な活動が保証されないとしてメキシコに事実上、亡命していたのがゴドイやロス・デ・パラカグィーナたちだった。彼らは“ギターをもつゲリラ”としてメキシコを中心にサンディニスタ革命の支持を訴え、資金集めに奔走した。
この時代に自作自演した「ニカラグア、ニカラグィータ」はいまでは第二国歌のように尊重されている。
 FSLNの戦いは1978年から翌7月19日、ソモサ一家の米国への亡命によって終結、革命が成功した。この日を祝ってのゴドイたちのコンサートだった。
 革命の成功で、ゴドイは亡命時代の功績が認められ、その国際的な知名度もあって第1次オルテガ政権の文化相に就任し、政治家としての実績も重ねた。

 この時期、革命記念日であるが、何十周年といった記念年でもない今年、何故、わざわざ“革命記念”と銘打ったコンサートを開いたのか?
 ゴドイ自身、特に語ってはいないが、キューバ、ベネズエラを中心に結成された反米派政権を戴く8カ国による米州ボリバル同盟(ALBA)の絆が経済的理由で緩みはじめている現実を直視したからではないか? キューバが米国と国交再開し、米州最大の産油国であったベネズエラが石油価格の低迷、精神的支柱であったチャベス前大統領の死去によって結束が揺らぎ、やはり産油国エクアドルの左派政権も原油の値下がりで経済危機に陥っている。資源のない小国ニカラグアにとっても危機的状況になるだろう。オルテガ政権もむずかしい舵取りが迫られている。だからこそ、ゴドイはあらためて革命の初心を思い出せ、オルテガ政権が安易に右傾化しないようにコンサートを通じて訴えたのだろう。
 ゴドイはコンサートで革命時代の代表曲「ゲリラたちの墓」「農民たちのゆりかご」などを歌った。

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