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舟越保武彫刻展から

 9月上旬、平年なら残暑の厳しい季節ということになるが、今年は8月下旬にいっきに気温が下がってから暑気とほとんど無縁な日がつづいている。地球の温暖化の下、すでに「平年」という言い方は通用しなくなりつつあるのかもしれない。

 振り返ればうだるような暑気のなか、今夏もまた、仕事柄とはいえ多くの映画を観、絵画や彫刻に触れ、コンサート会場に詣でた。すこし旧盆が過ぎたら湿度の少ない山間の集落に涼をもとめ小旅行しようと思っていたのもつかの間、急速に夏は手の届かない時空に過ぎ去ったようだ。そうしていま、今夏、さまざまな五感のふれあいをふるいにかけてみると、そこに残っているのが舟越保武の回顧的な規模の彫刻展だった。それは「まなざしの向こうに」とサブタイトルがついていた。
 舟越

 わたしにとって舟越の彫刻は、とても静謐で無骨なほど誠実な仕事から生まれてきたものだという印象があった。むろん、回顧展を見終わった後でもその印象はいささかもゆるぎない。
 同時代の代表的な具象彫刻の作家に佐藤忠良さんがいる。宮城県に生まれ北海道で少年期を過ごした人だ。舟越さんも岩手に生まれ、そこで少年期を送った人だ。わたしのなかでおふたりとも北のすがすがしい冷気が少年期の感性を磨いたのではないのかと思ってしまう。まず、そういう印象のなかにおふたりの作品はわたしのなかで屹立している。

 佐藤さんとは生前、小体育館のようなアトリエでくつろいだインタビューをしたことがある。舟越さんとはお会いすることはできなかった。
 佐藤さんはけっこうフットワークの良い人だった。多弁でもあったし、社会を辛らつに批評する眼力もあった。しかし、作品にはそうした通俗は入りこまい人だった。舟越さんがどういう人であったかしらないが、熱心なクリスティアンだったということで、その造形精神は通俗の塵を払いつづけるしなやかな意思のなかにあったように思う。多くの作品がそう語っている。

 舟越さんの作品中、もっとも公的な成功をおさめたのは1962年に全貌が示された聖フィリッポ教会「長崎26殉教者記念像」だろう。いまでもなく豊臣秀吉の命、キリシタン弾圧のなかで殉教した日本人信徒をふくむ外国人宣教師たちの最期の日々を象徴するものだ。この殉教者のなかにメキシコ出身の修道士フェリペ・デ・へススがいるのだが、それはメキシコ市近郊の町クエルナバカの中央聖堂のフレスコ壁画にも描かれていたため、メキシコ暮しをしていたわたしには舟越さんの創像はやはり気になっていた。
 その「~記念像」はわたしがラテンアメリカ暮しをするまえに一度、観ている、いや「見ている」といったほうが正しいだろう。長崎湾にうかぶ炭鉱の島の閉山の取材の帰り、足を延ばして「見た」だけに過ぎないからだ。炭鉱はいま「世界遺産」とか騒がれている軍艦島を望む島の炭鉱だった。

 回顧展では、教会から「記念像」をもってくることができないので写真、エチュード、下書き等、そして岩手県立美術館所蔵の合成樹脂による聖人像などで語る構成となっているが、それらの作品をレイアウトした空間はどくとくの沈思の気配があった。そう天草四郎が貧しい農漁民らを率いて徳川幕府のキリシタン禁制に“聖戦”をのぞんだ島原の乱を象徴する「原の城」もあって、それが一個の作品として名作展示されているのではなく、「殉教者像」との連続でそれをみると、また異質の気配を覚える。

 しかし、その舟越回顧展での最良の美は、わたしにとっては1970年代最終期から1980年代を通して制作された、歴史上の(西欧の)聖女もふくめた若い(日本の)女性たちの頭部像だった。そこに絶対美、在るがままの崇高な気配すらただよう、あるいは孤高の美が見事に時の刻みを止め、永遠の美をとどめていた。具象彫刻を観て、そうした感動はすぐる年、ルーブルで観た「ミロのビーナス」以来、味わうものだった。そのフロアではまったく建物を囲繞する猛々しい夏のおごりは地に沈んでいた。
 その一連の像を連作のように造形していた舟越が、そこにたどり着く前の作品群、習作期から1960年代までの作品はそれはそれで見事な完成度を示しているのであるけれど、作家はモデルとなったひとの生活感、内なる心根をなんとか表出しようと熱意、作為、あるいは作家の野心まで想起されているもので、なんとなく湿度の高い像というものだった。感心はするものの心をゆさぶるようなものではなかった。
 1980年代にはいると作家は無我のなかでつかんだ〈美〉そのもの、そして〈美〉のはかないことを知るものだけが、その〈美〉に永遠性を与えようと作為したときに生まれる衝動としての創造性、造形精神のカオスとしての芸術行為を感得した舟越そのものの精神がそこに在るように思えた。

 しかし同時に、わたしは日本の明治以降のカトリック受容史の限界も舟越にみてしまう。
 カトリック受容がラテンアメリカのようにとき夥しい殺戮があり、弾圧・迫害の血にまみれ、阿鼻叫喚の地獄があり、強姦や淫欲もあった猥雑な人間なまみの野卑がむき出しになった歴史、それと比べると教養主義的な弱弱しさを舟越作品を透して日本知識人の脆さもまた感じてしまうのだ。ゆえに日本ではカトリックは知識人の営為によってしか流布せず、所詮、新興仏教教団のバーバリズムに打ち克つことは所詮できないことだった、としか思わずにはいられない。美術館であらためてそんなことも考えてもいた。
 そして、〈美〉の絶対性によって、そうしたカトリック通史の雑念を洗ってもらいたく、その感動をとどめたく、一巡り回顧展をたどった後、そのフロアに立ち戻り、その後は、ほかの作品に視線を遊ばせず美術館を出たのだった。
 

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