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キューバと米国の国交正常化で変わる「文化」

キューバと米国の国交正常化で変わる「文化」

キューバと米国の国交正常化というカリブ海をめぐる大きな変化を前に、革命後、母国に戻らず異郷で果てたキューバ人たちのことを思った。

 革命前から一線で活躍してきた老音楽家たちの晩年をドキュメントした映画『ブエナビスタ・ソシアルクラブ』が世界的な大ヒットして数年後、ハバナに国営レコード会社エグレムを訪問したことがある。東京の音楽雑誌社の依頼でキューバ音楽のCDを販売したいので、輸入可能なCDのリストの提供などを受け、営業担当者と私的なルートを確保することだった。当時、ソ連邦崩壊の煽りを受けてキューバ経済は混乱、電力事情は悪化し、外貨を稼ぐための観光業を優先にした政策のなかで関連産業はインフラは改善したものの国内産業は疲弊したままだった。キューバの電話事情は極端に悪く、市内からの電話ですらうまく 通じないこともあって、個人的な関係を築くという前近代的な商慣行はまだ有効だった。

 キューバは革命前も現在も音楽大国だ。特に革命前の米国はキューバ音楽家がもっとも活動していた国で、米国で稼いだドルを国内に送金していた。現在のラテン音楽、特にポップスの定番サルサとレゲトンだろう。サルサは、米国とキューバの国交が断たれた後、新しくリズムを創造してくるキューバ音楽の豊饒がなくなった後に、ニューヨークで活動するプエルトリコの音楽家がキューバの亡命音楽家たちとのソン、ダンソンなどを取り込みながら新たに創造した音楽だった。プエルトリコ音楽市場はカリブ海域の政治的変化によって大きく飛躍したのだった。それはリッキー・マルティンで頂点になるまでつづき、現在もドミニカ音楽のメレンゲも吸収しながらつづいている。

 エグレムで提供を受けたリストのなかに革命直前、メキシコで公演中だったセリア・クルスは革命後の祖国を嫌って帰国せず、サルサの草創期から歌い、サルサの完成に寄与し、後年、米国籍を習得し、現在ニューヨークの墓地に眠る。日本で有名な”マンボの王様”ペレス・プラ ードもメキシコ公演中に革命に遭遇、やはり帰国せずメキシコ国籍を習得した。そして、プラードはメキシコ人としてメキシコ市中の墓地に眠っている。メキシコ市中心部、マリアッチの聖地ガリバルディ広場の斜め前に、メキシコ大衆音楽の“殿堂”といった位置にあるブランキータ劇場というのがある。そこのフロアにはプラード楽団の日本公演のポスターが掲示されているぐらいだ。
プラード

 戦後のプロ野球で初の黒人選手として阪急ブレーブス(現オリクッス)や近鉄で10年、俊足巧打の内野手として活躍したロベルト・バルボンも来日後、革命に遭遇、日本の永住権を獲得した。野球国にキューバから多くの選手が米国に流れたことは周知の事実・・・そのひとりひとりには掛け替えのないドラマがあった。

 革命後もキューバから多くの才能が米国に流出した。音楽家、野球選手だけでなく作家や美術家、そして俳優や企業家も多い。いま米国に在住する才能たちは悲喜こもごもあたらな状況を迎え、帰国、一時帰国などさまざまな選択肢に揺れていることだろう。そして、キューバと米国のいわずもながの復活によって、キューバ国内の芸術活動は新たな時代を迎えるはずだ。 

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