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映画“館”ファンのための映画『シネマの天使』

映画“館”ファンのための映画『シネマの天使』

 この映画、けっして秀作というわけではなし、社会的な有用性があるわけでもない。よって試写を観てからいかが処理するかと思っていた。制作者たちの熱意はしっかり受け止めていたし、何がしかの応援をしたいと思っていたが、いまひとつ前傾姿勢になれなかった・・・そうこうするうちに日が経ち、気にはなるけど重圧も感じない日々のなかで忘れかけていた。
 ところがである。昨日、たまたま入った喫茶店でコーヒーをのみながらお店の新聞、それもふだんほとんど手にしたことのない『東京新聞』を手にしていたら、〈あの人に迫る〉という読みきりの連載記事があった、そこに「地方最後の名画座・岐阜・ロイヤル劇場総支配人・磯谷貴彦」とあって、旧作の日本映画専門にフィルム上映をつづけている映画館の総支配人ぶりをインタビューしているのを読んでしまった。

 世に「映画」ファンは多いだろう。しかし、家庭でVHS(ないしはBETA)が視聴できるようになってから、微妙はことになった。映画は好きだけど、「わけのわからないおじさんの横に座るのはいやだ」「わざわざ行くの面倒くさい」(磯谷弁)という若者たちは、レンタルDVD、あるいは小さな画面のスマートフォンで満足してしまう。それは映画を観る、ということにならないと大人が言ってみても、それはせん無いことになってしまった。だから、本稿のタイトルで「映画“館”」としたのである。
 ・・・というわけで、映画“館”ファンのために孤軍奮闘する磯谷さんにエールを送りつつ、新作映画『シネマの天使』についてやはり紹介しなければという気になった次第。

 *   *   *

  映画を“私の大学”と言ってふむふむと首肯できる方ならたぶん、この映画に泣かされるかもしれない。
 物語はきわめて単純だし、出演者たちもそこそこの演技し、脚本のできも及第点だろう。というより物理的な時間の制約がこの映画に最初から縛りを掛けていたのだからもろもろ仕方がない。
 それでも、試写の行われた、京橋のマスコミ用試写室で海千山千のマスコミ関係者、かつ映画批評を手がける、ふだん冷ややかに映画をみるのが習い性となっている者たちが終映後、拍手が沸く現場に遭遇したのだった。数年ぶりのことだ。拍手した人も本作がけっして秀作とは思っていないはず、たぶん、自らの郷愁をくすぐられてのものも多かったはずだ。
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 広島県の福山市、私の好きな瀬戸内の古都。ここに創業122年の映画館が時代に流れに抗しきれず閉館が決まった。日本最古といわれた映画館だった。その名も「大黒座」という。いかにも風雪100年を耐えた貫禄ある館名である。少し前ならダサいといった感じだが、いまとなるとかえって斬新さを感じる。この大黒座が昨年、閉館した。その閉館が決まってから急遽、企画されたのが本作だ。その時点では回顧的な記録映画になる予定だったのが、劇映画へとギアチェンジされたのだから、じっくりと企画を醸造する間もなく制作されたのだ。完成度にはおのずと限界があるのは仕方がないこと。

 映画館そのものが主人公となった名作にわれわれは『ニューシネマ・パラダイス』というイタリア映画を持っているが、『シネマの天使』もある意味で 映画史に記録される作品になるはずだ。それは実在の大黒座そのものをステージとし、しかも更地にするための重機が映画館そのものを破壊する過程まで撮られてゆくのだ。物語の虚構と実際に進行してゆく閉館の過程のリアリズムの混在がなんともいえぬ効果を生んでいるのだ。
 劇映画である以上、創作の虚構がうまくないとしらける。そのために配役されたのが、不思議な老人役をぼうようとこなすミッキー・カーチス。彼が大黒座に永年、棲みつづける“シネマの天使”なんだ。このあたりはヴェンダースの『ベルリン・天使の詩』の借用である。
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 福山市民の多く、映画を観るかぎり大半、といった感じだが、大黒座にまつわる悲喜こもごもの思い出が実際の福山市民が語る。そんな光景が違和感なく劇映画のなかに溶け込んでゆく。重機で映画館は壊されてゆくが、大黒座で観た映画、大黒座で過ごした青春の思い出は消えない。それはすごくよく分かる。新宿歌舞伎町にミラノ座の幻影はいまもあるし、銀座のシネラマ専用館・テアトル東京がホテルに変わっても、筆者の記憶は最後の上映作となった『天国の門』の記憶とともに生きているし、『風と共に去りぬ』をシネラマ上映してくれた築地の松竹セントラル、その道路またいだとこに位置していた東劇・・・少年期、埼玉の川口で成長した筆者には川口駅周辺にあった7館(!)の映画館があった場所はいまでも指差しできるくらいだ。
 
 『シネマの天使』の主人公は消えゆく映画館そのものである。そこで働く従業員の愛惜、その人たちをつつむ福山市民の懐旧は助演者である。それだけをスクリーンに眺めていた。やがてスタッフ、キャストの名が綴られてゆくタイトルロールのその横に21世紀に入ってからだろうか、全国から消えていった映画館の写真が次々に写されてゆくのだった。これに涙腺が緩んだ。しばし、それを押しとどめることができなかった。私は拍手できなかったけれど、拍手した多くの“マスコミ関係者”はそのとき職能を忘れて、たぶん、映画と関わってきた自分自身を褒め上げ、もう少し付き合っていこうと鼓舞する拍手であったのかも知れない。
▽時川英之・監督。

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