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映画『ふたたび』 塩屋俊監督

映画『ふたたび』 塩屋俊監督


ふたたび
 高齢者たちを主人公にした映画は1970年以降、漸増している。高齢化の進む先進国だけの現象ではなく、メキシコやアルゼンチンなどでも目立つ。ラテンアメリカでもっとも医療制度が整っているといわれるキューバを舞台にすれば高齢者は否応なくめだって老音楽家たちの悲哀を描いた『ブエナビスタ・ソシアルクラブ』の感動的なフィルムを生み出したりする。『ブエナビスタ』につづけと同工異曲の音楽ドキュメントもキューバで撮られた。そして、高齢者を真ん中においた作品を演出する監督の視点はみな優しい。
 本作の塩屋監督もあたたかな人柄をしのばせる。本作にはまず悪人というのが登場しない。いや、偏見という病いに侵された日本というのは「悪人」として物語の底に伏流水となって流れている。
 1950年代の古いジャズがメインとなっている音楽映画でもある。ジャズがアートになるまえの親密なてざわりのぬくもりに満ちた音にあふれている。
 われわれはハンセン氏病を描いた映画として『砂の器』という大作を知っている。松本清張の小説を野村芳太郎監督が四季の移り変わりをスクリーンに描ききった労作であった。しかし、そこにはハンセン氏病の罹患者を“業”としてしまい、偏見を打開するという地平まで進み出ていなかった。社会性、が良いというのではないが、あれでは偏見を助長するのではないか、と思える弱さを宿したまま映画的感動を優先していたように思う。しかし、本作はハンセン氏病の罹患者を隔離し、その生涯をいわれない偏見の渦のなかに晒した日本近代の罪は大きいという視点がきちんとある。それを大言壮言するのではなく、日常の対話のなかで語られている点を評価したい。
 ちなみに中南米ではハンセン氏病の罹患者たちは生活者として町に出ている。偏見はあるだろうが、それを日本のように家族が隠すという陰湿さはないと思う。
 元ジャズ・トランペッターの貴島健三郎(財津一郎)が息子と孫が暮らす家に戻ってくるというところから語り起される。健三郎は神戸の名門ジャズクラブにデビューしようと練習の日々を送るなかでハンセン氏病を発症、当時の「らい予防法」によって強制隔離された。それから半世紀の歳月が流れ、社会復帰することを決意した貴島は息子の家にいったん落ち着くと、旅に出る。その旅の介添えは大学のジャズクラブでトランペットを吹く孫の大翔(鈴木亮平)。旅はかつてのジャズ仲間を訪ね歩く50年の歳月を埋めるものだった。その旅のなかで大翔の祖母、父親の母であった百合子(МINJI)と健三郎との恋愛と別れのエピソードも語られる。健三郎がハンセン病であったため、母と子は別々に隔離された生活を強いられ、母は感染したら大変だと一度もわが子を抱くことなく病死する。このあたりは当時の偏見が作り出した社会的悲劇というものだが、残念ながら通り一遍の感傷的な作劇となってしまっている。映画の全体的な印象はそういう意味ではかなりウェットである。であるなら駄作としてここで取り上げるまでもないのだが、財津の陰影を彫琢する演技力が映画を引き締めているのだ。
 50年の歳月は当然、人を変える。痴呆症の症状がでているかつての仲間もいる。そうした仲間と語り合いながら、やり残したことを実現しようではないか、というのが本筋である。欠けているのは当時のバンドでピアノを弾いていた健三郎の恋人でほんのつかの間、妻であった野田百合子だけだった。МINJIは百合子と、健三郎が隔離されていた療養上の看護士ハヨンの二役を演じている。百合子は日本人として、ハヨンは出稼ぎに来ているらしい韓国人女性役として。双方をそれぞれ好演していている。
 ラストは老ミュージシャンのひさかたぶりのジャズセッションとなる。ここで感動が一気に盛り上がるという段取りだ。さて、ここで涙腺がいかに緩まるかは演出の力だろうが凡庸である。評者はこぼれ出そうな涙が引っ込んだ。

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