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文庫化されない本のために 001~002『炎の画家 横山操』

文庫化されない本のために 1~2
 ★いつの間にか消えて行く本がほとんどだが、それでいい。適当に消えてもらわなければ書店は雪崩を起こす。
文庫化されずに絶版となる本はもともと発行部数が少ないわけだから古書店でも入手困難となる。そういう本に限って、ブックオフの書棚を飾ることはなく、従来、扱うべき街の古書店は激減しているから、なおさら手にする機会は激減する。無論、消えてもいさかかも差し支えない本もまた無数にある。そんな本に未練はないわけだが、これは遺しておきたい、とも思うし、できたら文庫化して欲しいと思うものもある。そんな本を少しづつ自分のためにも書き残しておきたいと思うようになった。極私的読書ノートかも知れないが・・・。★

☆001『破滅 ~梅川昭美の三十年』毎日新聞社会部編集
 本書について記そうと思ったのは理由がある。
 参考に、とウィキペディアで「三菱銀行」と検索すると、筆頭に「三菱銀行人質事件」と出てくる。すでに大半の日本人には忘却の事件、戦後昭和の犯罪史の特筆される項目でありながらも、すでに語られることはなくなった。しかし、戦後史を紐解けば、そこにこの事件が異様な相貌をみせて横たわっていることは誰でも知覚できるだろう。そうした人が少なからずまだ存在していて、その証拠として「三菱銀行」と検索すると、「人質事件」が筆頭にでてくるということだろう。検索件数が多い、ということだから。
 そのウィキペディアの「三菱銀行人質事件」の詳細な記述の後半に関連資料として5冊の書籍が紹介されている。しかし、そこに本書が何故か記載されていない。これはどうしたことだろう。
 毎日新聞大阪社会部は事件直後、大阪府警がシャッターの穴をくりぬいて撮影した犯人の写真を入手、全国にスクープした。本書の表紙にも、その写真が象徴に掲げられている。
 事件の概要は今更、書くまでもないが、事件後、大阪社会部はそのネットワークをいかして射殺された犯人・梅川の誕生から銀行に押し込むまでの30年間を丁重にたどって本書にまとめた。梅川の30年をぶれなく綴りながら、16名の記者の仕事は梅川周辺の人びとの戦後の生き様もきちんと記してゆく。梅川が事件をおこさなければ生涯、自分の名、半生なりが絶対に活字化されることなく生涯を終えた人びとばかりだ。また、梅川自身の30年間もまた、タダノ銀行強盗であれば書物の主人公を務めることもなかったはずだ。
 特異な犯罪は多くの衆目をあつめる。そして、そこに名もない市井のひとびとの姿が浮かび上がってくる。

*1979年に本書を初版刊行した晩聲社は、現在は韓国カルチャー応援団のような企画に終始しているようで、とてもシンパシーを感じるものではないが、創立期、まだ中米エルサルバドルの内戦をルポしていたカメラマン長倉洋海の仕事を取り上げたり、統一教会批判の先駆けとなった茶本繁正の取材にも意欲的に呼応して出版、その批評精神に筋を通っていることでしられていた。『破滅』もまた、その文脈のなかで登場したのだろう。しかし、韓流ブームにあやかろうというような企画を安易に立てるようになってから、創立期の覇気は雲散霧消したようだ。
 *本文をアップしてすぐ読者から、「幻冬舎より文庫化されている」との指摘を受けました。確かに同社の「アウトロー文庫」から刊行されていました。この点、不注意をお詫びいたします。但し、本文の主旨を訂正するほどの必要は認められないので、このまま掲載しておきます。

☆002『炎の画家 横山操』田中穣
 先年、中央アジアのイスラム国ウズベキスタンを旅した際、観光の傍ら、近くに「日本人の墓地がある」と知れば、時間の許す限り手を合わせに行った。今次大戦の敗戦で中国本土及び北朝鮮に散在していた日本人兵士・軍属がから不当にソ連邦に“拉致”された。いわゆるシベリア抑留だが、それはジュネーブ協定違反の強制労働だった。満足な食事も与えられず過酷な肉体労働を強いられるなかで多くの日本人将兵が異郷の地に果てた。その人たちが無念至極と眠る墓である。
 合掌したい、すべきと思ったわたしの感情、心根などはここでは吐露する場所ではないので書かないが、その墓地のなかで、ふつふつと頭をもたげてきた想念のなかに、四人の美術家の仕事があった。
 強制労働を生き延び、戦後の日本美術界に名を遺すことになった日本画家の横山操、具象彫刻家の佐藤忠良、洋画家の香月泰男の仕事をそれとなく想い出していた。
 三人のなかで終生、抑留体験を凝視しつづける作品を繰り返し描いていたのはいうまでもなく連作「シベリア」を代表作とする香月だが、ほとんど抑留体験を表出しなかったのが佐藤であり横山だった。
 その横山の生涯を描いたのが本書であり、ここで横山の抑留体験が何故、絵に表象されなかったか、その秘密をしったように思った。そして、その抑留体験も過度に描き込まずに横山芸術の完成を見事に描いた評伝である。
 著者の評伝、それは美術家に限定されるのだが、よくこなれた文章で説得力をもって生き様を辿らしてくれる。たぶん、本書は1970年の後期に一度、読んでいるが、その時はたぶん横山の回顧展を観てから読んだか、観る前の参考として読んでいるはずだ。たぶん、走り読みしたはずだ。生涯をたどるというより、年譜の時歴を追うように読んだに過ぎなかったはずだ。
 いま再読して、横山の幾多の富士、黒色多用の画業、その黒にこめられた意思、右手の自由を奪われ、絵筆を左手に換えてあたらしい抒情の世界へと転成した横山の軌跡を知った。横山の前に川端龍子が存在するが、横山の後に、彼を追う気概はまだ登場していない。いや、気概をもつ日本画家は存在するはずだが、横山の気宇壮大な富士に匹敵する才能をみせていないということだ。

 横山は抑留生活で労働が軽減されるのに役立つ、描く技術をもっていたわけだが、それをソ連兵の前でみせることはなかった。その理由も知った。忠良さんは小器用に描いたらしいが、むろん、それを責めているわけではない。生き延びるためにみな極限状況のなかで懸命に知恵を絞ったはずだし、そうすべきであった。横山が描く技術を用いなかったのは、食の量の増減に関係したということも本書での発見であった。
 横山の巨きな絵をこれから親しみをこめて眺望できるような、そんな気がする。畏怖とか峻厳とか、そんな形容が無縁なところで絵に入りこめるような気がするのだった。

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