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文庫化されない本のために 3~4『聞書き・寄席末広亭一代』『ターニング・ポイント』

文庫化されない本のために 
 ★いつの間にか消えて行く本がほとんどだが、それでいい。適当に消えてもらわなければ書店は雪崩を起こす。
文庫化されずに絶版となる本はもともと発行部数が少ないわけだから古書店でも入手困難となる。そういう本に限って、ブックオフの書棚を飾ることはなく、従来、扱うべき街の古書店は激減しているから、なおさら手にする機会は激減する。無論、消えてもいさかかも差し支えない本もまた無数にある。そんな本に未練はないわけだが、これは遺しておきたい、とも思うし、できたら文庫化して欲しいと思うものもある。そんな本を少しづつ自分のためにも書き残しておきたいと思うようになった。極私的読書ノートかも知れないが・・・。★


☆003 『席主北村銀太郎述 聞書き・寄席末広亭一代』冨田均・記述

 都内に現存する4つの落語定席のひとつだが、桟敷をもつのはこの末広亭だけだ。その桟敷の柱に背をもたせ、足を延ばしてペットボトルの濃茶を啜りながら江戸の話芸に耳を傾ける時間はなかなかいいものだ。

 末広亭と浅草の演芸ホール(及び併設の東洋館)がお気に入りだ。
 理由は周囲の猥雑感というか、いかにも下町の賑わいにみたされているからだ。池袋の演芸場もおなじような趣きがある。寄席がはね屋外に出た後、喧騒がないといけない。その点、最低の定席は間違いなく永田町の国立演芸場。何故、あんな場所に作ったのか気が知れない。隣の国立劇場との兼ね合い、付属、同時期への開館という行政の都合から、アソコになったのだろう。となりが最高裁判所という、なんとも興ざめの寄席だ。

 まぁ、そんなことはどうでもいい。本書の語り手・銀太郎翁が現在の新宿三丁目に末広亭を建てたのは昭和21年。空襲で焼け野原になった新宿に客が集まるのかと危ぶまれる時期に建てたのだ。当時、末広亭から新宿駅までさえぎるものはなにもなく見通せたという。その後、幾度かの改装・改築はあったものの創建当時の面影を色濃くのこす。
 寄席の正面玄関はああでなくちゃいけない、という勘所をおさえているのがいい。浅草の演芸ホールもそうだが、名前は変えて欲しいもんだな・・・。

 末広亭は埼玉の所沢に映画館を建てるための木材を使ったという。敗戦で映画館の建設が中止になったからだ。その木材も所沢に送り出そうと飯田橋の操車場の貨車に載せてあった。空襲を受けたが、その貨車は奇跡的に焼け残った。空襲もなく所沢に向かっていたら、あるいは空襲で焼夷弾を浴びたら、あの末広亭はなかったということだ。・・・そんなことも本書で識った。

 しかし、本書の主題は「末広亭」ではない。
 明治・昭和・大正の三代を豪快に遊びきった男の放蕩記である。その男が東京の悪所通いを赤裸々に語り、歌舞音曲を客視点で批評し、世相を語り、明治東京人のダンディズムを語り下ろした快作といえようか。むろん三代の寄席事情も分かる。

 市井の人の視点から東京の近代を伝える記録は多いが、どうも放蕩者のものはまともな資料扱いをされないようで、本書も久しく絶版のままだ。
 銀太郎翁の奔放な話しぶり、テンポ、息遣いをみごとに伝える記録者・冨田の仕事も褒めらるべきだろう。こうした本は文庫になって広く読まれることはないのだろうが、末広亭辺りでサイドビジネスとして復刻して売店に常備してもらいたいものだ。
 ▽少年社刊行・雪渓書房・発売。1981年7月初版。


☆004 『ターニング・ポイント』アーサー・ローレンツ著/小池美佐子・訳。

 筆者がバレエを描いた映画のなかで、もっとも好きで評価するのが『愛と喝采の日々』(ハーバード・ロス監督・1977)。本書はその原作。映画が良ければ原作も良い、とはならないが本書もよくできた小説だ。これはバレエが好きな人には読んで欲しいし、大衆小説の枠組みながら、20世紀のバレエ、帝政ロシアで育まれ、共産ロシアのなかで伝統の強靭さを確立し、以後、世界のクラシック・バレエ界に影響を与えてゆく真実も、女性の自立、生き方を描くという大筋のなかにきちんと捕捉されている小説として広く読まれて欲しい作品だ。

 日本では映画の公開がきっかけで出版されたが、原作も当初から映画化を想定して書かれたようだ。しかし、いわゆるノベライズのお手軽さを超えている。そして、本書を書こうとした作者のなかに1974年に米国に亡命したキーロフ・バレエの人気プリンシパル、ミハイル・バリシニコフの存在を抜きしては語れないと思う。原作でもバリシニコフを思わせる描写があるし、映画化する時期にはロシア語訛りの英語も話せるようになっている本人自身が助演という重要な位置を与えられている。キーロフ仕込のバレエの芸術性と、男優としてドラマを演じるクオリティーの高さでオスカーの助演男優賞に受賞とはならなかったがノミネートされた。
 本筋は中年女性の葛藤劇。かつて結婚でプリンシパルへも道をあきらめたディーディー(シャーリー・マクレーン)、その親友で独身を通していまもステージに立つ大スター、エマ(アン・ヴァンクラフト)。その二人が再会して、それぞれ自分のターニング・ポイントにおける選択は間違っていなかったか、お互いのいまを認めることによって反芻する。自分の来し方の時間に対する慈しみと少しの後悔。原作ではもろんエマが『アンナ・カレーニナ』を踊り19回のカーテンコールをうけるシーンなどがあるが、映画のエマはいっさい劣らない。女優アン・バンクロフトが踊れるわけがないからだ。
 ふたりが“女の道”をわかった1点、それは恋愛を昇華するか諦めるか? あるいは目の前のスターの階段を昇か降りるか、を決めなければならない青春のその時であった。物語はディーディーの視点から描かれるが、映画ではほど対等な配分だ。バレリーナとして自己実現できなかった悔恨を、エマの踊りで見、3人の子どもの母親としてのせわしない充実の日々のなかで、いつのまにか若き日の悔恨を覆ってきた。
 映画ではエマの踊りのシーンを描けない分、バリシニコフのバレエで観客をじゅうぶんに満足させるという仕組みになっているわけだ。小説も映画もディーディーとエマが主役だが、助演陣のリアリティによって映画は成功し、そして本書が邦訳された。
 バリシニコフは本作で踊れる男優として注目され、やがて『ホワイト・ナイツ』で主役となった。そして、目立たない役だが、ロシア革命後、米国に亡命したバレリーナで、やがてバレエ教師として生計を立てたダカロワという老女が登場する。彼女が小説のなかでだが、「クチェシンスカヤですよ。マリンスキー・バレエ団のプリマですよ。ロシア皇帝の愛人になったほどのバレリーナです」と語る。作者は現在の米国のバレエも革命前ロシアの血を受けて育っているものだと語っているわけだ。(サンリオ刊。1978年初版)

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