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トルコ映画『消えた声が、その名を呼ぶ』 ~オスマン・トルコ帝国末期のアルメニア人大虐殺を描く

オスマン・トルコ帝国末期のアルメニア人大虐殺を描く映画『消えた声が、その名を呼ぶ』

 消えた

 ヒトラーがユダヤ人に対するジェノサイドを政策目標として机上に載せたとき、側近たちを納得させるため、「いま誰がオスマン・トルコのアルメニア人に対する大虐殺を問題にしているか。つい最近のことだ。生き残った証言者もたくさんいる。人はわがことに関わりなければ誰も記憶を封印し、無かったことにしてしまうものだ」といった意味のことを“参考意見”としたのはあまりにも有名な話だ。
 映画『消えた声が、その名を呼ぶ』はそのアルメニア大虐殺の史実を“加害国”トルコの監督が撮った。それはたぶん日本の映画人が南京事件、慰安婦問題を真正面から取り上げるのに等しい。そのトルコ人監督の名をファティ・アキンというが、本作の試写をみたトルコの友人のひとりは「 石をぶつけられるぞ」といい、もうひとりは「花を投げてくるよ」と言ったという。つまりトルコでは南京事件や慰安婦問題とおなじように現実政治に影を落とす問題なのだ。
 現在、トルコはEU入りを目指しているが、いつも反対に、回っているのがフランス。同国には多くのアルメニア系住民が暮し、アルメニア人に対するジェノサイドに対し公式謝罪をしないトルコを指弾しつづけていて、時に政府の政策に大きな影響を与えている。シャンソンのシャルル・アズナブールやポップ歌手シェルビー・ヴァルタンなどがアルメニア人である。20世紀クラシック界の“帝王”といわれたドイツの指揮 者カラヤンもアルメニア系だ。現在コーカサスの回廊に位置するアルメニア共和国内の総人口298万だが、その人口を越えるアルメニア人が世界各地に散在している。その震源が1915年のオスマン・トルコによるジェノサイドであった。
 
 映画は第一次大戦下、トルコ領内の小さなアルメニア人集落の成人男性に対する強制徴用からはじまり、やがてアルメニア人社会全体に覆ってゆく迫害と拡大する。それは大戦にドイツと軍事同盟を結び、敗色が濃厚になっていくほどに、アルメニア人たちの悲惨はました。
 映画では飢餓と病いで地獄絵図となった難民キャンプの様子も映像化されている。そうした過酷な状況を奇跡的に置き延びたアルメニア人の鍛冶職人ナザレット(タハール・ラヒム)が強制労働に狩り出されている間に故郷を追われて行方不明となった二人の娘をさがしてシリア、レバノン、キューバ、アメリカへと旅する物語だ。難民となったナザレットに正式なパスポートはない。国境を越えるのも不法越境。それは生命を賭けた旅路だ。そして、それはそのまま今日のシリア難民問題や、北アフリカ諸国から地中海に羅針盤なしで乗り出した船に満載された難民たちの姿に重なってゆく。
 映画では大戦前から難民となって海を渡っていたアルメニア人たちの姿も描かれる。そうした人びとの助けでナザレットの旅は保障されたといえる。米国の寒村で娘のひとりを探し当てるナザレットだが、現実は過酷なものだった。
 
 かつて筆者は、アルメニアの首都エレバンに独り旅したことがある。郊外の小高い丘に アルメニア女性と登ったことがある。アルメニア人が等しく崇める霊峰アララット山を眺望するために。アララットの峰とは旧約聖書のなかで「ノアの箱舟」が漂着したとされるところだが、その聖なる山は現在トルコ領土となっている。それは東京の人間が、他国の領土となってしまった富士山を眺めるということに等しい。アララットの縁起でもわかるようにアルメニアは歴史上、もっとも古くキリスト教を“国教”とした国だ。
 そして、この国がコーカサスの回廊に位置したため北と南に台頭する強国の圧政を絶えず受けてきた。首都エレヴァンの広壮な国立博物館があるが、そこでみた巨大な展示物を思い出す。それは古い教会の内壁をそのまま移築展示したもので、アルメニアを占拠した支配者が変わるたび、宗教画の装飾が変ったことを象徴するもので、幾層もの漆喰を剥いで、各時代の絵を見せるようになっているものだった。アルメニアそのものを象徴するものだった。筆者が訪れた当時はまだソ連邦の支配下で外国人が宿泊できる数軒のホテルのレストランのメニューは、右半分がぶどうの蔓から発想を得たいわれるアルメニア文字、左半分がロシアのキール文字というもので、食事のたびにえらい苦労をしたことを思い出す。その時、英語で助けてくれたのがアララット山を眺望しに丘に登った女性であった。
 クレムリン支配下のアルメニアから「剣の舞」でしられる作曲家ハチャトリアン、独特の色彩感で母国の自然を描きつづけたサリヤンが出た。いま彼らの位置はどのようなものになっているのだろうか?

 映画のなかでトルコの役人が、「キリスト教を捨てイスラムに改宗するなら強制労働は免れる」生命は保障されるという二者択一を迫るシーンがある。背教者も出る。しかし、大半が棄教を拒み、そして命を落とす、殉教。100万とも150万ともいわれる犠牲者の多くのはそうした棄教を拒んだ殉教者たちだろう。
 勇気をもって自国の負の歴史を直視した若い監督ファティ・アキンに敬意を表したい。  
*12月26日、東京地区公開後、全国順次公開。

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