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ナタリア・ラフォルカデ、チリ公演

ナタリア・ラフォルカデ、チリ公演
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 ラテンアメリカ諸国の音楽にはは20世紀後半の政治的な激動の後遺症が癒えない傷となっていまも現れることがある。それは域内だけに留まらず、特に中東地域の政変に影響されることがある。
 日本でよく知られたアーティストではコロンビアのシャキーラや、映画『フリーダ』に主演したメキシコの女優サルマ・ハエックなどはレバノン内戦を避けて大西洋を渡った世代の二世だが、中南米諸国が軍事独裁政権に覆われていた1970~1990年代には多くの人が域内では政治的な安定と経済力をもっていたメキシコに逃避した。

 メキシコの早くして中堅歌手として人気、実力とも不動のものにしたと思うナタリア・ラフォルカデもまた、父親が1973年9月にチリで勃発した軍事クーデターによって事実上、国外追放となっていた民主派の音楽家であった。そんな自分の来歴を詳細に語ったのは昨年の春、メキシコの音楽誌のインタビューのなかだった。そこで彼女はプライベート旅行で78歳の父を介助するようにして祖国チリを訪れ、はじめて親族を訪ねたことが記されていた。父にとっても亡命以来、初の祖国入りとなったのだ。そのナタリアが歌手として11月26日、チリで初のコンサートを首都サンチャゴのカリオカ劇場で開いた。デビュー時代から今日までのヒット曲を回顧する内容だった。
 ナタリアの父がメキシコでの活動拠点をおいたのはベラクルス地方だった。音楽教師として生計を立てるためだった。父はチェンバロ奏者であり、母もピアニストだった。そして、父からチリのビオレッタ・パラの歌、そして音楽の基礎もアカデミックに習っていた。そんな家庭環境を包み込むようにベラクルス地方の大気はキューバ渡りのダンソン、ハローチャに代表される濃厚な民俗音楽の芳香に彩られていた。
 メキシコ・シティの大都市の若者の心情をとらえたポップスで人気を獲得し、今年はラテン・グラミー賞の5部門で候補作となり主要4部門で賞を獲得したアルバム『アスタ・ラ・ライス』で大きく飛躍した。サンチャゴでのコンサートはその凱旋公演という色彩であった。
 彼女の生と音楽の「ライス」根っこ、はメキシコとチリにある。『アスタ・ラ・ライス』はスペイン語バラードの世界を若い感性と歌唱力で拡張したような仕事だと思う。
 ナタリアはすでに9月、米国サンフランシスコ公演も成功させており今後、その活動は世界大に拡張していくだろう。デビューから間もなく日本での小さなコンサートを実現してくれたナタリア。そのデビュー・アルバムはラテン圏の歌手として異例の早さで日本でも発売された。そのライナーを書いたのは筆者だった。メキシコからソニーへ原稿を送ったことを懐かしく思い出す。
 しばらくナタリアの日本公演は実現しないだろう。その意味では残念だが彼女が飛躍のときを迎えているということで祝福したい。 

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