スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

[ライナー・ノーツ] ナタリア・ラフォルカデ*21世紀の気流に乗って、天翔ける その3

◇CUATRO(4)
 2002年、メキシコの少年少女たちがもっとも支持した映画が『アマル・テ・ドゥエレ(愛することの痛み)』。
 アマル
製作費を湯水のごとく使ったハリウッドCG映画が「見世物」として受けるのはメキシコも日本もまったく同じで、遊園地感覚で受容されていることは事実。けれど、心のうちに響く映画とはなりえない。どの国でも、低予算映画で制作されたものでも、自分たちが生きる国、町、路地裏にカメラが入って等身大の青春を描くスクリーンに声援を送るものでしょう。そこに自分のたちの現在進行形の反映をみるからです。『アマル・・・』はメキシコでそんな映画として若者に支持されたのです。
 ありていに言えば分厚く壁高い階級差を若者の「純愛」は越えられるか、と社会的ロマンティシズムの問題を提起し、現実は甘くないと、涙の破局で閉じた悲恋物語。メキシコは典型的な階級社会で、享受するカルチャーそのものが違います。
 映画の舞台はメキシコ・シティ。高級住宅街と下町をカメラは行き交い、その中間地として広大な駐車場をもつ郊外型大規模ショッピングセンターがあるという設定。若者風俗がドキュメント・タッチの粗い画面で描かれ、物憂げな日常光景を縫ってナタリアの歌がスクリーンから新緑の葉を転がる水滴のように零れ出たのでした。
 映画のサウンドトラック盤は2枚組みでナタリア他、多くの新鋭気鋭の歌手(グループ)が参加。映画公開時点で全国区の知名度をもったアーティストは男性5人組のエレファンテという少々、コマーシャルなロック・グループのみ。 しかも、そのエレファンテの曲は、主人公の少年が恋する少女へ捧げるため、ラジオ局にリクエストするという設定で使われているので、これはある程度知られた曲、アーティストでないと臨場感に欠く、だから既存曲が採用されたわけ。けれど、他の曲はほとんど無名のアーティストによるものでした。映画の制作者は手垢のついていない曲で青春の一コマ一コマを綴らせようと意図したのです。
 映画の制作が決まった時期、ナタリアも無論、無名。そんな新人に、映画の主題歌「アマル・テ・ドュエレ」を任せ、恋人たちの交感を綴るシーンでは「2000年」という曲で彩りを添えました。
 そうアルバム中、最大のヒットとなった「2000年」はもともと映画挿入歌だったのです。残念なことに映画主題歌「アマール~」と、もう一つの挿入歌「ジェバルテ・ア・マルテ」もアルバムに収録されず、サントラ盤でしかいまのところ聴けません。
 その「ジェバルテア・マルテ」のマルテとは映画の主人公の少年がスプレー・ペインティングで描くヒーロー。映画のマーキュリー「火星」。資産家の少女の両親が、どこの馬の骨ともしれない(と思っている)下層階級の少年と会うことを禁じ、自宅での軟禁状態を強います。その時、少女が愛しい少年を思い出すシーンなどで使われる曲でした。そう、ナタリアの歌は主題歌だけでなく、映画の重要なシーンで繰り返し使われているのでした。脚本が完成した以降のナタリアが創作した曲ということにもなります。
 アルバムが昨年2002年発売ながら、「2000年」という曲が成立しているのは、映画が2000年のメキシコ・シティを舞台にしていたからです。

◇CINCO(5)
 「2000年」の歌詞に、リッキー・マルティンの名が登場するかと思えば、ガエル・ガルシアの名が出てきます。
 ガエルは、日本でも公開されたメキシコ映画『アモーレス・ペロス』(2000年東京国際映画祭グランプリ)、『天国の口、終りの楽園』に主演、今年のオスカー外国語映画賞候補作『アマロ神父の罪』でも主演していたラテン世界を代表する若きスターです。
 マルタという名も出てきます。「マルタはミミズだ」と言い切った歌詞で、現メキシコ大統領夫人マルタ・サーグンを名指しで批判しているのです。誰でも知るファースト・レディの名を借りて、資産家たちのスノビズムを歌ったわけです。「大統領夫人はミミズだ」と、否定というより挑発的。現職大統領夫人をこき下ろす行為、姿勢は、ちゃらちゃらしたポップス歌手にはできないでしょう。つまりナタリアの批評精神はロックそのものなのです。
 現在、ロック・エスパニョーラという言葉、強固なジャンルがあって、メキシコ、アルゼンチン、チリ・・・などで優れた才能が出ているのですが、ここメキシコでは、女性ロッカーの鉱脈も豊かで、筆者自身の好みを隠さず並べれば、エリィ・ゲェラ、フリエッタ・バルガス、アレハンドラ・グスマン、そしてエル・トリという長年、メキシコ・ロックを牽引してきたグループの紅一点チェラ・デ・ロラ、都市ゲリラ的展開をみせているサンタ・サビーナのリタ・ゲレーロ他、といったところが売り。その前衛にナタリアを立たせたいとも思います。
 でもアルバムを一聴しただけでは、彼女のしたたかなロック性は判然としません。希釈されているのも事実。そこには、ナタリア売り出しの戦略も働いているでしょうし、OV7を手掛けたプロデュサーの意向も強く働いているでしょう。でも本質はロックンローラー(ロック・エスパニョーラ的に)だし、歌詞にその痕跡を残しているわけです。
 そんなナタリアをメキシコの少女たちが一押し二押しでアイドル視している。ローティーンの少女たちも、となりのお姉さんのようなナタリアが、きっちり自分たちの思いを、喉を通りやすい糖衣錠ではなく、苦さもオブラートに包むことなく代弁してくれる掛け替えのない世代のきらめく装置として支持しているのです。
 10代の少年少女たちがオトナの思惑を無視し本音で、現代のアイドルを選ぶ「Nick賞」というのがメキシコにあります。人気ゲーム・ソフトとか、TVアニメ、ルチャ・リブレ(メキシコ版プロレス)選手とか、いかにもイマドキ異種混合賞。その全14部門すべてを獲得したのが、昨年のナタリア・ラフォルカデでした。 (完)

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

上野清士

Author:上野清士
店長の最新著書

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
カレンダー
04 | 2017/05 | 06
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31 - - -
FC2カウンター
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。