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花もつ女たち №62  大道あや (画家 1909~2010)

花もつ女たち №62  大道あや (画家 1909~2010)
あや花火

 9月15日(2008年)の敬老の日を前に厚労省は、100歳以上の高齢者は3万6276人と発表した。女性が過半を占め3万1213人。大道あやさんも数え年で言えばその一人だ。
 百寿を迎えた女性画家といえば小倉遊亀さん(1895~2000)を思い出す。人気画家のひとりだから年に一度くらい大きな回顧展がどこかで開かれている。遊亀さんは少女時代に画家として立つことを眺望して研鑽に励み、大成した努力の人。あやさんが絵筆を自覚的にとったのは60歳を過ぎてからのこと。それは米国の素朴画家グランマ・モーゼス(モーゼスおばあさん)ことアンナ・マリー・ロバートソン(1880~1961)が主婦の座を娘に明け渡してから描くようになった年齢とほぼ同じ。ただ、あやさんに影響を与えたのは、彼女の実母・丸木スマさんが、「おばあちゃん画家」として活動していたこと、そして兄・位里が戦後、妻の俊さんと共同制作した「原爆の図」シリーズでよく知られた水墨画家であった。そうした環境のなかで絵筆をもつことは自然の成り行きであったかも知れない。しかし、環境が育てた才能には間違いないだろうが、その豊かな個性的な美の世界はひとり、あやさんのものである。しかし、世界広といえど二代つづけて60歳を過ぎて画家となった「おばあちゃん画家」というのはスマ、あやさんをおいていないだろう。
 あやさんは戦前の高等女学校を卒業した後、ごくごく普通のなりゆきで結婚、広島市内で美容師となる。そして、36歳のとき爆心地から2・5キロの地点で被爆した。父は被爆から1年後に他界、母スマは無事だった。
 戦後、家業の花火工場で働いていたが、その工場で長男が事故で負傷、夫も爆発事故で亡くした。また、その間に母スマが身を寄せていた埼玉の丸木夫妻の家で殺されるという不幸にも遭遇している。
 1969年、60歳。あやさんは友人のすすめで絵を描きだす。心の癒しであった。そして、翌70年の大作「しかけ花火」が女流画家協会展に入選し、注目される。それは、事故死した夫への思いを描きこめた作品だった。
 江戸の浮世絵以来、夏の風物詩として繰り返し描かれてきた花火だが、あやさんの花火ほど慟哭に満ちたものはあっただろうか。色彩は乱舞し、空間を裂く破裂音まで横溢するような音響を塗りこめた絵だ。過剰なほど空間を埋めつくし、なお飽き足らないといった作者の執念にたじろぐ。
 積年の私憤、言葉に言い尽くせない質量のある言霊(ことだま)の放射である。
 花火は闇に一閃、華麗な光の花弁を開いた後、たちまり消滅する。その静寂を恐れるように花火を描き重ねるが、いくら描きこんでも索漠の気配がのこった。そこに作者の心が刻みこまれた。
 筆はいつか措(お)かねばならない。亡き人たちに促されて筆を措いた。あやさんの絵はヒロシマやナガサキの被爆者たちも追悼する。おびただしい「死」を背にはじまっている。

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