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日韓共同制作『颱風綺譚』

演劇 日韓共同制作『颱風綺譚』
颱風綺譚

 演劇の美点は少人数で臨機応変に対応できるということだ。それは時代とリアリスティックに切り結ぶことができるということでもある。本作の公演にそれをみた。
 「反日無罪」という嫌な言葉が韓国と中国にある。その対語は“親日有罪”か。日本でも韓流ブームは去り、中国観光客の“暴買い”を歓迎しながらも、その経済力と軍事力に違和感を抱く。ここ数年、一衣帯水の距離に横たわる由々しき亀裂だ。本作は、日韓の演劇人がそうした状況を直視し、共同制作するなかでお互いの歴史観をぶつけ合って共有可能な新しい歴史観ができないものか、という試みである。まず、その姿勢を歓迎したい。
 2000年前後のある時期、日韓の学者が集まって共同で「歴史」教科書を作ろうという試みがあった。それは見事に破綻するのだが、そこに集まった善意に満ちた学者たちであるだろうし、よこしまな野心とか、自らの民族性を抑制しようという自制心ももった人たちであったと思うが、頓挫したのだった。公刊されることを前提しての作業となれば、私的な思いは、公的な認識の前に掻き消されるということだ。そこに「文化」が登場してくる隙間がある。風通しのよい隙間だ。それが、ここでは「演劇」というかたちでともかく実現した。

 シェイクスピアの『テンペスト』がテキストに採用された。地中海の絶海の孤島で展開される話が東シナ海に置き換えられた。日韓の古典を捨てることによって客観的な距離が生じ、「綺譚」というファンタジーのオアシスのなかで「歴史」が攪拌された。
 日本の要人を乗せた客船が台風で難破し、生き残りの乗客たちが孤島に漂着してはじまる劇だが、その台風は、李王朝時代の元貴族の妖術によって引き起こされた、という有り得ない仕掛けだ。妖術の成果としてはじめるわけだから、芝居はその妖術師の思惑のなかではじまっていくしかない。その意味では、これは韓国側の重点が置かれるかな、とも思うが、思えば1930年代の状況では韓国民衆は朝鮮総督府に組織的な抵抗などできない。抵抗の夢想はできても現実化などできない。結局はありえない妖術という額縁のなかでおさまっている芝居だから、意地悪く言えば、韓国側のごまめの歯軋りのようなものだ。妖術によって難破された日本人たち、そこには軍人もいれば政府要人もいるわけだが、孤島の先住者であった李王朝の囚われ人、俘虜といった立場になる。しかし、韓国の絶対支配者階級としての矜持はある。下級船員の生き残りの日本人が状況にすぐなじんでいくようにはいかない。そういう様々な立場の人間が、それぞれの母語でやりあうわけだ。
 確かに、台詞のなかに多くの歴史的用語が徘徊する。それを日韓それぞれの俳優が母国語で、時にはむき出しでぶつけ合う。その緊張感がなんとなく心地よい。台詞の多くは、双方には正しく通じていない。韓国語の台詞は、ホリゾントに日本語訳が映し出される。日本語台詞は、韓国語訳が映し出される。観客は台詞は認識できる立場だが、舞台上の演じては意味不明の言葉でしかない。そういう意味では実験的要素のある作劇だ。
 結局、ここではなにか高邁は理想とか、未来志向の何かが語れているわけではない。しかし、違いをちがいと認め合う姿勢のなかでしか、融和への道は切り拓かれない、と主張しているように思えた。少なくとも、観客は自らが抱える歴史観を、それぞれの尺度でもう1度、再考してみようか、という気になったと思う。それだけでも本作は成功といえるのかも知れない。
▽12月4日、埼玉県・富士見市民文化会館「キラリ☆ふじみ」にて。

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