スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

旅立ったアノ人、コノ人 其の二  熊井啓さん

 旅立ったアノ人、コノ人 其の二
   熊井啓さん

その頃、熊井啓監督は都下のよくある住宅地の一棟に住んでいた。堅実な中流サラリーンマンが退職金まで見込んで建てたという、あまり個性のない家だった。その二階、よく陽の入る座敷で、僕はひたすら監督の烈火のごとき怒声に打たれていた。打たれてはいたが怯えていたわけでもなく、恐れおののいていたわけでもなかった。
「あぁこれが噂に聞く熊井さんの癇癪か」と納得したような、実際に確認できてよかったと思うような気分で、ただただ殊勝にしていただけだ。
監督の怒りはとめどなく口角泡を飛ばしつづくのであった。僕はなかば呆れ、そして、どこかで憐れんでいた。こういうふうに人と対峙することが普通と思われるような人の生活のザラザラした焦燥のような感情表現を幼いとも思った。
 熊井啓さんは、戦後の日本映画の良心ともいえる才能だ。その評価を損ねるつもりいささかもない。でも、作品と人は別である。
僕への怒りは、当時、公開されて間もない監督の新作『日本の熱い日々 謀殺・下山事件』への批評原稿を某評論家に依頼、多少、映画に対してきつい内容であったが、ひとつの見解として成り立つと思い、編集者として掲載した。それを、たぶん俳優座経由で読んだ監督から連絡があり、「お話したいので是非、拙宅へ」となって、その日一日、監督のために費やした。
 監督のいかにも神経質そうな痩身はテーブルの向こうで揺れ、ふるえ、ときに伸びあがり前のめりしながら激越な批判はつづくのであった。僕はもう何も聞いていなかった。聞いていない代わりに、僕がみてきた監督の作品を順繰りになぞっていた。処女作は1964年の『帝銀事件 死刑囚』であった、『黒部の太陽』もみた。『地の群れ』の印象はいまも強い。『忍ぶ川』『サンダカン八番娼館 望郷』と栗原小巻主演映画がつづき、『天平の甍』の後に、GHQ占領下で起きた下山事件の謎を監督は映像で迫ったのだ。その映画は当時、すでに珍しくなっていたモノクロ作品であった。劇としてより、ドキュメント性を重視しようという姿勢が当時の雰囲気をより再現できるモノクロームのフィルムを選択させたようだ。監督が長年、ひめていた私見というものを開示する手段でもあった。しかし、それが定見となるわけではなく、批判が出るのはまた当然であった。僕が依頼した原稿はそのひとつの批判に過ぎない。しかし、監督は、その批判を完膚なきまでに叩こうとするかのように、けっして耳触りのよいとはいえない言葉を並べていた。
一度、奥さんが遠慮がちに冷たいお茶をお絞りとともに運んできた。ポプリ研究家で1980年代のポプリブームの火付け役となった熊井明子さんだ。短い閑話休題……なまぬるい静寂がふと訪れた。むろん、それで切り上げとはならなかった。
 監督と、批評文を書いた評者のあいだで、僕を迂回してのやりとりもあり、とうじ、すこぶる面倒なことだと思ったが、新幹線があったにも関わらず、時間の都合で東京・仙台間を飛行機で往復して解決を図ったのだ。その時、仙台市内から空港までタクシーを飛ばしたのだが、その車の後部座席に僕と監督は並んで座っていた。そして、その日の監督は過日の口吻はまったくなりをひそめ、真逆としかいいようのない柔和な口調を崩さなかった。いや、むしろ猫撫で声といっていいぐらいのものだった。僕はそのあまりの急変ぶりに戸惑うと同時に、なぜか憐れみたい心境になっていたのだった。そして、空港構内に車が入ってから、なにを思ったか、「これでなにか美味いものでも食べてください」と千円札紙幣を数枚、僕の手に押し込んできたのだ。むろん、断った、鄭重に。しかし、監督は執拗だった。僕はそれ以上、押し返せば、またぞろおかしなことになると思い、ありがたく頂戴したのだった。
 それから監督は『海と毒薬』『千利休 本覚坊遺文』『深い河』など軸のぶれない硬派な作品を撮りつづける。その大半は、僕がラテンアメリカに移住してからの作品だった。監督の作品は長く残っていける力のあるものだ。それは疑うものではない。しかし、そうした作品が生まれるまで、この監督は繰り返しスタッフ、キャストに罵声を浴びせ、苛立ちを隠さなかった人なのだろうと思った。それは作品に掛ける執念というものの体現かもしれないが、人はそれぞれ個性的なもので僕のように、不当と思えば、竹輪耳になって平然とできるタイプもあれば、それに痛く傷つき、熊井監督とは二度と仕事をしたくないと思ってしまう者だってあったはずだ。そうしたことは作品の価値とはまったく別の事柄だが、ひとつの回顧として、やはり書かずにはいられなかった。

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

上野清士

Author:上野清士
店長の最新著書

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
カレンダー
09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
FC2カウンター
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。