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ギリシャ悲劇『王女メディア』公演 圧倒的な存在感を示す平幹二郎

圧倒的な存在感を示す平幹二郎『王女メディア』
   ~幹の会+リリックプロディース公演『王女メディア』
メディア

 平幹二郎の圧倒的な所作に魅せられた。82歳の平に女の盛りの熱情と悲嘆の両極が体現されていた。その演技は水々ともいえるものだった。
 「王女メディア」、身も心も、一身を捧げた夫であり一国の王イアソンの不実、裏切りへの復讐として自ら腹を痛めたふたりの愛児を殺(あや)めた王女を描くギリシャ悲劇。2400年前、詩人エウリピデスがメディアに血涙とともに呪詛する「地を這い、もの思うすべての生き物の中で私たち女ほど哀れな種族はない」という台詞とともに永遠の激情劇となした芸術。
 平幹二郎率いる「幹の会」が主催した本公演はすべて男優のみで演じられた。
 歌舞伎を見慣れた日本人にとって、それはまったく違和感なく溶け込める世界。しかし、ギリシャ悲劇として、たとえばギリシャ国立劇場の女性演出家が2000年前後、斬新な手法でメディアを再造形したり、ギリシャ人マリア・カラスが朗唱しない女優として演じたメディアなど、すでにわれわれは様ざまな〈おんな〉の永遠の呪詛を知っている。その意味では男優のみでの舞台は実験的ではあっても、けっして驚きという領域のものではない。 しかし、歌舞伎の女形の動きを「女優」がけっして真似できないように、ギリシャ悲劇の女形もまた女優が真似のできない動きを伴っていないと、それは未完成としかいいのようのないものだと思う。

 平のメディアの衣裳は歌舞伎の衣裳と見まがうような大胆で斬新であり豪奢感もある。王女の威風を象徴しながらも、自ら王女の座から降りた廃位の喪失感もただよう見事なものだった。この衣裳に身をつつんだ平は、脂粉を念入りに凝らしてはいるが、けっして厚塗りとはいえず、平の地の表情がそのままうかがえる。その平がメディアを象徴して呪詛の鬼になる。確かな実在感をともなって鬼気迫る世界を造形する。しかし手勢となる助演者たちは「芝居」をしているに過ぎない。平が2400年の歳月を遡る女の悲嘆として語っているとき、助演者たちは「芝居」、それも「新劇」特有のイントネーションで演じているに過ぎなかった。それが耳障りだった。
 平の演技を堪能していると、この悲劇は極限すれば助演者などいらない。字幕だけで事足りる。メディアの独り舞台で十分だ。平にはそれだけの力があると思った。82歳の平が若い助演者たちを圧倒し、まったく寄せ付けなかったから、そういうのだ。筆者は芝居前半から平の芸術しかみていなかったし、彼の“叙事詩”しか聴いていなかった。それは詩人・高橋睦郎の修辞に富んだ言葉の芸術として心地よく鼓膜に響くものだった。
  *1月9日、東京グローブ座で。

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