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花もつ女たち №65 ベティ・ペイジ

花もつ女たち №65 ベティ・ペイジ (モデル*米国・1923~2008)
 ベティ

 本連載でモデル嬢を取り上げるのは2人目。以前に、美術学校のモデルから伊藤春雨、竹久夢二、そして藤島武二のモデルを勤め20代前半で現役を退いた「お葉」こと永井カ子ヨ(1904~1980)を取り上げたことがある。ベティ・ペイジは「ボンデージ・モデル」の草分け的存在として紹介される。ボンデージ・マグと呼ばれるSM系の雑誌やアンダーグランドの16mm映画に主演していたからだ。しかし、ボンデージ・モデルというなら、お葉のほうがはるかに先行者であり、晴雨では妖艶な少女、夢二の絵では可憐さを、そして武二のタブローでは気品すらかもし出していた。それらの絵は芸術である。しかし、ベティがモデルとなった作品は永遠に芸術とはなりえない。米国1950年代のサブカルチャーを一閃、光をはなった存在、というのがベティに対する正当な評価であろう。ベティとお葉の仕事を比較するとき、あたらめて日本の性文化・風俗の奥深さをおもわずにはいられない。お葉をベティよりはるかな先行者と書いたが、江戸時代に遡れば、そこに豊饒な浮世絵の世界があり、その春画に登場した無名の女たちの存在に思いいたさないわけにはいかなくなる。
 しかし、ベティは米国という経済力をもった大国に生きたということで世界的な影響を与えてしまった。それは彼女の預かり知らぬことだが、結果的にそういうことになってしまった。
 ベティは学歴のないお葉とは違って、奨学金を受けてカレッジに進み、卒業後、英語教師を勤めたこともあった。早すぎる結婚が彼女に最初の挫折をもたらすが、それを苦にしたわけではない。むしろ、主婦の座から解放されハイスクール時代から憧れだった女優を目指して俳優養成所に通いだす。この授業料と生活のため、実入りの良い仕事としてヌードモデルとなった。その過程で当時、ボンデージ系雑誌を発行していた写真館の経営者の勧めでボンデージ・モデルとなった。そして、そんな雑誌を通して、好事家のあいだでアイドルとなる。しかし、当時の米国はポルノグラフィーを麻薬より有害とするような国会議員がいた時代だ。雑誌は摘発され、彼女は引退し、やがてプロテスタント系教団の布教活動に入ってゆく。
 ベティがモデルと活動していたのは5年たらずだ。お葉とほとんど変わらない。そしてともに後半生のほうがはるかに長い市井生活があった。
 卑猥とされ指弾をうけたベティの露出度の高い衣裳は、いまやマドンナやジェニファー・ロペス、レディ・ガガあたりがステージで着用している。卑猥の基準は変わり、進みもすれば退行もする。
 ベティを社会は糾弾し追放したが、彼女の裸体を楽しんだのも、けがわらしいと排斥したのも、ともに男性であり、男社会といえる権力機構であったことを確認しておきたい。

 遺されたベティの写真は相当量、破棄された後に残ったものだ。それをみていると、彼女の姿はSMでいうところの「女王様」の役柄が与えられている。そして、その役柄を楽しんでいるようにも思える。いやしい仕事をしているといった退廃の気配はなく、快活ですらある。それを魅力的というかどうかは個人の自由だが、彼女がもう少しましな写真家や画家などに出会って、そのモデルとなっていたらと思わずにはいられない。お葉は、ベティは真反対で晴雨の「責め絵」のなかの被虐像として定着させられた。
 しかし、ふたりとも平凡で、それなりに穏和は生活を営んで生涯を終えた。

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