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バチャータのファン・ルイス・ゲラの基金創設へ  (ドミニカ共和国)

バチャータのファン・ルイス・ゲラの基金創設へ  (ドミニカ共和国)
Juan Luis Guerra

 日本的にいえば還暦目前のファン・ルイス・ゲラ。ドミニカ共和国(以下、ドミニカ)にあってメレンゲとならぶ音楽の構成要素バチャータを長年ひとりで牽引してきた観のあるゲラ。むろん、メレンゲに無関心であったわけではない。「エル・ナイアガラ・エン・ビシクレタ」のようにバチャータとメレンゲを見事に融合したヒット曲もある。ただ、ときに社会性も持ち込むゲラにとってはバチャータのほうが創作しやすいということだろうし、声の質がメレンゲよりメロウなバチャータに合うということだろう。そんなゲラ、今年、デビュー33年目を迎えたが少しも衰えたところはみせず、感性は更に磨きがかかっている印象だ。
 2009年8月に東京と福岡で日本初公演、その際、日本語も取り入れた「バチャータ・エン・フクオカ」を作ってヒットさせた。日本でもファンは多い。
 昨年はラテン・グラミーの最優秀アルバムを『トド・テイエネ・ス・オーラ』で受賞。最優秀歌唱賞でも「ツス・ベソス」でノミネートされていたが、メキシコの新鋭ナタリア・ラフォルカデにさらわれた。ゲラ自身は自分の音楽性が今日的に高いレベルで維持されていることに自信を深めた年となった。
 この2月上旬から米国ニューヨークのマジソン・スケア・ガーデンでの公演を皮切りに受賞アルバム名を冠したワールド・ツアーを開始した。この2月、ミック・ジャガーをはじめとするローリング・ストーンズの60代の面々が南米チリから開始したツアーを横目にゲラも負けてはいない。少年時代のゲラはビートルズにおおきな影響を受けている。その好奇心の範囲にはブライアン・ジョーンズ時代のローリング・ストーンズも存在していたはずだ。ゲラ世代のラテン・ポップスに担い手たちは多かれ少なかれ日本と同じようにビートルズに深甚な影響を受けている。
 ニューヨークはご存知のようにドミニカ系米国人が多く住む町だ。カリブ圏でいえばプエルトリコ系住民についで多いだろう。つまりヒスパニック観衆を多く呼び込める町からツアーをスタートさせたということだ。ついで、カナダ、プエルトリコ、そして母国ドミニカに帰還後、中米地峡のホンジュラス、エル・サルバドル、パナマ、コスタリカと中米地峡諸国を巡演。その後、ヨーロッパ・ツアーに向かうという例年になく意欲的なゲラである。
 そして今秋、ラテン・グラミーの授賞式に合わせてゲラは、自分が資金を提供し、若く才能のある音楽家を支援するために「ファン・ルイス・ゲラ、ラテングラミー文化基金」(仮称)を創設することを表明している。
 今年のツアーも、その「基金」の宣伝と資金作りの目的もあるのかも知れない。ニューヨークでの公演では最近作の受賞アル
バムの曲にこだわらず、これまでもっとも知れたゲラのヒット曲「ブルブッフ・デ・アモール」「バチャータ・ロサ」「フリオ・フリオ」など手勢の“4:40”とともに活動していた時期(1984-2015)の名作を積極的に取り上げたのも後につづく各国での公演への前評判づくりのような気がする。  
 ツアーで中米地峡諸国が目立つが、この地域はゲラと4:40の最初のワールドヒット曲「ブルブッフ・デ・アモール」を早くから受け入れた地域だ。まだ内戦が暗い影を落としていたグアテマラ、エル・サルバドルなどでも海賊盤のカセット・テープが大量に出回っていたことを昨日のことのように思い出す。当時、ゲラの歌は平和を希求する人々に寄り添っていた。ユーチューブの再生回数でも「ブルブッフ~」を収録した最初のベストアルバム『バチャータ・ロサ』からの曲が上位を占めている。その視聴率は、ツアーの選曲におおきな影響を与えているだろう。

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