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[ライナー・ノーツ] リッキー・マーティン『MTV アンプラグド』

リッキー・マルティン MTV アンプラグド  
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 約7年のメキシコ暮しを切り上げようと、帰国の準備をはじめた頃、アイドル・グループ、メヌードからリッキー・マーティンを独立させた某氏(メキシコ人)へインタビューを申し込んだ。約束当日、彼の事務所を訪ねた。不在、ドタキャ・・・。某氏はその朝、マイアミに飛んでいた。離婚訴訟で、妻にマイアミの不動産が取られそうになって慌てて日程を変更したということだ。何故、某氏へコンタクトしたか?
 当時、リッキー抜きで元メヌードのメンバーが短期間、再結成され、地元プエルトリコやメキシコ各地で「レコントロ=再会」というライブツアーを行ない、そのライブ盤もヒットしていた。2000年前半、ラテン・ポップス界ではそんな再結成ブームがあった。90年代、ヌメードと活動が重なった人気グループにティンブリチェという男女混成グループがある。現在ではラテン・ディーバに数えられるタリアやパウリナ・ルビオも在籍していた。彼らの「再会」も話題を集めた。しかし、人気沸騰期のタリアは不参加。リッキーとどうよう懐古に浸る余裕などまったくない。リッキーをメヌードから引き抜いたのが某氏であった。

 リッキーの本格的な芸能活動は1983年12歳、メヌードへの参加からはじまった。そして今日まで、彼は絶えず走っていたように思う。言葉を正しく使おう、ラテン・ポップス界の喧騒のなかに暮らしていた、と思う。それはとてもシンドイことではないかと思う。けれど、彼にも比較的、おだやかな活動期があった。メヌードから独立し、メキシコでテレノベラに出演した時期だ。その連続ドラマの主演者はティンブリチェの人気者で、リッキーは助演。数年後、その立場は完全に逆転するのだが、そういう時代もあった。
 リッキーの名と存在が”グローバル化”したのは、言うまでもなくW杯フランス大会のテーマ曲「カップ・オブ・ライフ」を歌ったからだ。ビルボード№1ヒットとなった「リヴィン・ラ・ヴィダ・ロカ」をフロントに活動した90年代後半という時期だ。彼にとってラ・ヴィダ・ロカ、そう“イカレた生活”を送っていた時代。ありていにいえば私生活なんて存在しない。それでも彼は自分を見失わず、季節の移ろいのなかで“イカレた生活”が平常に戻るのを待った。
 99年、W杯のテーマ曲を収録した『リッキー・マーティン』は全世界で17億枚という天文学的なセールスを記録するが、これは世界的なサッカー人気の後押しがあってのことで、リッキーの実力を超える。時代が生んだ奇跡のようなものだ。事はリアリズムでみなければいけない。
 「カップ・オブ・ライフ」以後、リッキーはワールドワイドを意識し英語詞のノリを優先した作品づくりに一時、特化させる。彼をこれまで支持してきたと自負するラテンアメリカ諸国のファンには、けっして愉快なものではなかったはずだ。
 近作の英詞アルバム『ライフ』(2005)は、『リッキー・マーティン』以後、もっとも売れなかった作品として記録される。それでも大変な数字だが、リッキーの場合、評価基準は常識を超えている。『ライフ』が失敗作というのではない。良くできたアルバムには違いないが、スペイン語圏にすんなり馴染まずセルースに反映しなかった。リッキー自身、『ライフ』の制作の途上で、そのことを認識していたと思う。『ライフ』後のもっとも重要な仕事として取り組んだ「MTVアンプラグド」は、視聴者の大半がスペイン語族であるという強い認識から発している。
 そのアコースティックなラテンの芳香をただよわせるパフォーマンスを収録した本作は、リッキーの音楽活動のなかで転換期、節目となる傑作である。かつてのヒット曲が新たな土壌から芽を出した異種として蘇生した。それも奇をてらった実験的なものではなく、カリブのシーブリーズのような心地よさに満ちたナチュナルな肌触り。その象徴的な作品が「マリア」。彼の髪が長く、その髪の揺らぎがセクシーなアピールとなっていた時期の代表作。95年のアルバム『ア・メディオ・ビビール』に収録されている。
 オリジナルの「マリア」は導入部でブラジル・バイヤ地方のリズムを導入、それに被さるようにアコーディオンを歌わせ、クーバンジャズ風のフォーンを響かせたりとそうとうアレンジに入れ込んだ曲なのだが、蘇生した「マリア」は海を越えてイベリアの風を吹き寄せている。ギターはフラメンコを意識し、パーカッションはカホン、コーラスもフラメンコのコロを意識。そして、もっとも印象的な音色はスペイン・バスク地方で発達したアコーディオン「トリキティシャ」。オリジナルでもオヤと思った音色が新作では濃厚な味わいになって印象的。リッキーはかなり意識的な操作を行なっている。
 だから、「マリア」とか「ヴェルヴェ」、あるいは「ラ・ボンバ」が収録されていると言ってもスパ二ッシュ曲の単なる焼き直しと思ってはいけない。リッキー・マーティンという歌手は自分自身を支えてきたヒット曲を掌(たなごころ)に包んできた。ラテン系の歌手のひとつの越し方だと思う。消費の概念は希薄だと思う。ヒット曲ほど愛しつづける限り生命力は失わない、との確信があると思う。そんなことを率直に確信させてくるアルバムだ。

 MTVの『アンプラグド』について書いておく必要だあるだろう。
 音楽チャンネルとして世界規模の視聴者を有するMTVだが、その企画番組として意欲的に展開してきたのがアンプランド。スタジオに少人数の聴衆を招いて行なわれる親密的なコンサート。僕がこれまで評価しているアンプランドでのパフォーマンスは、メキシコのロック・グループ「マナ」、ワールド・デビューして間もないコロンビアの「シャキーラ」、ラテン圏女殺し三大ボイスのひとりスペインの「アレハンドロ・サンス」、そして南米チリのロック・グループ「ラ・レイ」といったところか。ラ・レイの「ドュエレ」はメキシコのオルタナティブ系ロックの女性歌手エリィ・ゲエラとのコラボレショーンでラテン圏ポップスの歴史的な作品となった。
 そうしたMTVアンプラグド史のなかで、リッキーの本作は重要な位置を占めることなる。すでに世界100局以上のMTVチャンネルと、一部の放送ネットワークでオンエアされるか、これから放映予定。その視聴者はそれこそ天文学的な数字となるだろう。
 リッキーが出演することは規定の事実であった。そのコンセプトが検討されたが、事は生むが易く、ボリクワ(プエルトリコの美称)としてスペイン語世界に回帰することで実現した。
 「ロラ、ロラ」を単純なラブソングを思ってはいけない。ロラという女性に対する思慕歌だが、ロラは祖国そのものである。『ヴァエルヴェ』(98年)に収録された曲。「ロラ、ロラ」につづく、「ボルベラス(帰ってきてくれ)」も同じような基調の作品で、アルゼンチン・タンゴの名作「ボルベール(帰郷)」のカリブ版といっても良い。これも旧作で『ア・メディオ・ビビール』(95年)の収録曲。
 思えば、リッキーがこうしたアンプラグドの親密的な雰囲気のなかで歌うのはメキシコでの活動期を除けば、ほとんどなかった。その意味でも貴重な新作である。
 リッキーの華やぎは僕のラテン暮しのBGMでもあった。帰国して早四年、リッキーの歌をしみじみと味わっているのが、なんだか不思議な気がする。こんなアルバムを待っていた。   2007・7

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