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花もつ女たち №68 クララ・シューマン (ピアニスト*1819~1896)

クララ・シューマン ピアニスト・作曲家
 クララ

 クララは幼いときから晩年まで実に克明な日記を遺した。幼い頃は父ヴィークの代筆で、愛娘の成長日記のようにして書かれはじめ長じて乙女の秘密が封印される日記となる。ヴィーク記の部分は優れたピアノ教師としての教授日記でもあり、19世紀のピアノ教育の一端が記されているという意味でも希少な資料でもある。

 クララとロベルト・シューマンとの恋愛、結婚、そして夫の夭折という「愛」の物語はあまりにも有名で、そこにクララの優れた芸術家としての姿が埋没してしまうこともある。それは、恋愛期の往復書簡も多く遺されているため語りやすく興味を惹くからだろう。
 天才少女の名をほしいままにしたピアニストであったクララ自身がショーマン作品の初演奏者であり、バッハやベートーヴェンの幾多の作品の初公開演奏者という“前衛”に位置していたので、同時代の多くの証言記録が遺されることになった。当時、リスト自身しか弾けないといわれた、リストの難曲も作曲家の前で弾きこなした演奏家がクララであった。そんな逸話に事欠かない。つまり、クララ自身の記録はそのまま音楽史における重要な資料、財産なのである。

 ここにシューマンがまだクララに恋愛感情を覚える前、当時、辛口の音楽批評家として名をしられていたシューマンのクララ評がある。
 「彼女(クララ)は幼少でイシスの女神のヴェールをあげた。この幼女は静かに見あげている。大人たちはその光輝に盲目になるかも知れない」と。13歳のクララの演奏評として。
 また当時、ゲヴァントハウスの指揮者としてライプチヒ市民の偶像であった若きメンデルゾーンも、クララのピアノに驚愕し、「彼女は小さな悪魔のように弾いた」と書き付けている。

 しかし、なんと多忙で意欲的な芸術家として70年近い活動を持続し、敢えて書くが「内助の功」として夫シューマンに寄り添い、シューマン芸術の普及に努め、7人の子(4人は幼くして死去)の母となった婦道の鑑のような生涯はまったくもって頭が下がるような神々しさ。シューマン亡き後はブラームスの控えめで適切な補助があったとはいえ、ひとりの女性が成しえた事業の大きさに瞠目する。ピアノ協奏曲など多くのピアノ曲を作曲した才能であったことも忘れてならないだろう。
 音楽教師としての父親の存在としてモーツァルトやベートーヴェンの事例が物語りとなるが、クララもまた父ヴィークの存在なくしてピアニストとしての大成はなかった。その畏敬する父はシューマンとの結婚に裁判まで起こして抵抗した。クララのその時、“恩師”の父を切ってシューマンに走る。そういうドラマチックな挿話に満ちたクララの生涯は、映画や舞台で愛の物語として繰り返し描かれてゆくことになる。そんななかで、シューマンの「トロイメライ」がクララへの愛の告白のように思われてしまう誤解も生じた。

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